2000.12.01

5日間の長期休暇から戻って、最初の勤務。
スタンバイ。
とくに何もない1日で稼動せずに済んだ。

身体検査の結果がメール・ボックスに入っていた。
足首をケガしてから、なかなか元に戻らず走れなかったので、中性脂肪やコレステロール値が心配だったが、
とくに血液検査の結果に異常は認められなかった。
正常値には上限と下限が決まっているが、中性脂肪は下限値をかなり下回っていた。
中性脂肪が少ないのはいいことだと思うが、少なすぎるのはどうなのだろう?
また、「やや肥満」 と診断書に書かれてしまった。
ウエイト・トレーニングをしていれば、どうしても体重は増えてしまうが、
航空身体検査は、必ず「標準体重」を用いて肥満かどうかを判定する。
脂肪が多いか少ないかは関係ないのだ。
この判定、いつか変えて欲しいものだ。

そういえば、この前、私は肺活量が6000ccある、と書きましたが、
その返事で、「そんなにあるんですか?」 というメッセージを頂きました。
それにまつわるお話。

友人に私が愚痴ったことがあります。
「なんで、住民税ってこんなに高いの?
 車持ってないから道路使うわけでもなく、排気ガス撒き散らすこともない。
 本は嫌いだから図書館も利用しないし、子供がいないから学校や、公共施設も他の人より使わないのに。」
「でも、おまえ、人よりたくさん酸素吸うだろ?」
返す言葉がありませんでした・・・・・



2000.12.02

今日は高知−大阪を2往復半。
最初の3便は私の担当だった。
とても気流がよく、上昇、巡航、降下、着陸まで全く揺れない、珍しい日だった。
久しぶりの操縦で、とても気持ちが良かった。

サイパンでスノーケリングをしすぎて、背中を火傷したが、丁度皮が剥けだした。
ムチャクチャ背中がかゆく、じっと座っているのがとても苦痛だった。
ときどきシートの背もたれに背中を擦りつけたが、ガサガサ音とをたてているのでは?
と思うほどザラザラしていた。
南の島へ行くと、いつも同じ過ちを犯してしまう。
が、すぐに忘れてしまうのは歳のせいだろうか?

最初の2便を飛んでから、伊丹の事務所でミーティングがあり、その後3便飛ぶ、というパターン。
ミーティングには新しく大阪に赴任してきた課長が出席。
日本人とは思えないような顔立ちのキャプテン。
「中近東の王子さま」、と呼ばれているが、まさにその通り。
どうすれば、こんなにかっこいい顔に生まれるのか、信じがたい。

ミーティングの中で、今度新たに冬季運航の審査が加わる、という話を聞いた。
規制緩和で色々な面で、試験、審査が楽になる、といううわさを1年前は聞いていたが、とんでもない。
どうしてどんどん厳しくなっていくのか?
つらい・・・・

ホテルに20時30分ころチェックイン。
速攻、素っ裸になって、シャワーに入りアカスリで背中をゴシゴシ洗った。
擦りすぎて痛いのだが、まだかゆい。
妻にはホテルで全部皮を擦り落としてくるように言われている。
うーん、なんてやつだ!
掃除するのが面倒だとー!
汚いだァー!?
クッソー!
こうして私は小汚い親父になっていくのである・・・・



2000.12.03

高知は朝から雨。
せっかくサイパンで買ってきた T−シャツを着ようと思って楽しみにしてたのに・・・・

それにしてもお買い得だった。
たまたま入ったお店で3枚10ドル。
思わず6枚も買ってしまった。
でも20ドルなら、いいか。
胸囲が105cmある私は、日本ではなかなかゆったりした、安い T−シャツを見つけることができない。
そういえば、サイパンのDFSで C'K のデニムのシャツをゲットした。
最後に残っていた1枚で、サイズは私にピッタリ。
しかもデザインがとても気に入った。
値切ってみたが、48ドルのものがすでに40ドルまで値下げしてある、と言う。
でも、最後の1枚でしょ? としつこく聞く私。
しばらくして店員が戻ってきた。
I guess this is your lucky day. Guss how much?
「・・・・・」
28 dollars.
「Really!? That's great! I'm gonna take this!」
思わずニンマリしまう私。
たったの28ドル。
6枚の T−シャツ分がただになってしまった計算。
しかも私はブランド品など買ったことが無い・・・・
嬉しかったのなんのって、超ハッピー!

2週間ほど前、本町の問屋街でしっかりした作りの長袖のシャツを500円で買った。
東京では馬喰町という問屋街で、定価の8〜9割引でしか服は買ったことがない。
だからユニクロがとても「高い」と感じる。
うーん、いくらブランド品とはいえ、28ドル=3000円のシャツ・・・・
やっぱり高かったかなァー?

しばらくして雨があがった。
まっ黄色のど派手な T−シャツを着て散歩へ。
足取りは軽く・・・・の予定だったが、最近再び走りだしたせいで太ももが筋肉痛。
足取りは重かった。
それでも気分は良かった。


とても変な気流だった。
大阪を上昇中、9,000ft を過ぎると大きく揺れた。
計器を見ると、風が変化している。
10,000ft で 280°/45kt   風が大きく変わった 9,000〜13,000ft が最も揺れた。
11,000ft で 255°/60kt   そして、通常、低高度では高度が高いほど風は強いが、
13,000ft で 235°/70kt   13,000ft と 16,000ft では逆転。
16,000ft で 240°/50kt   地上では前線が抜け、北風に変わったが、
                    上空ではまだ気圧の谷が抜けていないのだろうか?
15,000ft を過ぎると比較的スムースになり、16,000ft はベルトサインを消すことができた。

高知へ向けて降下中、14,000ft で 230°/55kt、10,000ft で 240°/55kt。
10,000ft の風が大阪と違い、降下中の風向があまり変化しなかったせいか、大きな揺れはなかった。
8,000ft から下は北風。
高知は北に山があるため、空港特性として北風が吹くと揺れる。
高知へのアプローチもけっこう揺れた。

高知発、大阪行きの最終便。
15分も前から機内へ案内したのに、お客さんが1名、遅れて搭乗したため、2分遅れの出発となった。
チケットがらみで、地上係員に何かクレームをつけていたらしい。
この2分の遅れが後で効いてくる。

FL170 から大阪へ向け降下をリクエスト。
左斜め後方に JAL Express が降下しており FL160 を通過中なのが、TCAS を見て分かった。
この時点で 320kt から 250kt へ減速するように管制官から指示された。
せっかく定刻に到着できるように燃料を必要以上に燃やして、高速で飛行してきたのに。
きっと私達の前に飛行機がいて、我々はその次なのだろう・・・・
TCAS で探すが、私達の前方にはどこにも飛行機いない。
後方4マイルに JAL Express が1機いるのみ。
ということは、北からアプローチしてる飛行機がいるのか?
しばらくすると 210kt に減速させられた。
おかしいなァー。
どこにも飛行機いないぞ?
待てよ、なんか後ろの JAL Express が接近してきてるような気がするな・・・・
でもまだ後ろにいるし・・・・
管制官何やってるんだろう?
伊丹空港への最終アプローチを開始するすぐ手前で、JAL Express が私達に並んだ。
なにー!
あれより後なわけ!!???
どーしてー?
あんなに後ろにいたのに、どう考えても我々が先でしょ?
一体どーなってんの?

当初、19時54分に着陸予定だったが、減速させられ、遠くに回され、結局20時01分の着陸となった。
何度も上空で管制官に文句を言おうかと思ったが、他の飛行機も無線を使う。
管制用語は英語なので、英語でクレームをつけて管制官が理解できないと、何度も言い直す必要がある。
でも、日本語で言うとえげつなく聞こえてしまう。
他機が交信しようとしても、私達がしゃべりっぱなしになると迷惑だ。
仕方ない我慢するか・・・・

Ramp-in は結局20時05分。
定刻5分遅れ。
上空で2分縮めようと高速飛行すると、200〜300ポンド余計に燃料を使う。
それは1万円以上するのである。
今回は完全な管制のミスだと思われるが、
7分も余計に飛ばさせられると、2万円は燃料を垂れ流すことになる。
環境にも悪いし、せっかく企業が努力してコスト削減しているのに、何の意味もなくなってしまう。
温厚なキャプテンもかなり怒っていた。

最後に乗ってきた乗客が1番最後に怒った顔で降りていった。
あの出発の2分遅れがなければ、JAL Express の後にならないで済んだのに・・・・・
ゲートを通って私達が帰ろうとしたとき、そのお客さんが GH に向かってすごい剣幕で怒っていた。



2000.12.04

今日は休日で、朝からジュエリー製作に没頭。
クリスマス・プレゼントにと、妻に以前から頼まれている人工ダイヤ(ジルコニア)のプチ・ネックレスを作っている。

原型もでき、鋳造をしようかと、真空脱泡機の電源を入れるとヒューズが飛んだ。
最近怠惰でジュエリー作りさぼってるし、鋳造はもう1年近くやってないからなァ・・・
ヒューズを買いに行くか。
チャリで近くの電気屋へ行ってヒューズを1つ50円で買う。
「スミマセン。 これと同じのください。」
家へ戻り、ヒューズをセットし電源 ON!
あれっ、また切れたぞ?!
なんだ、なんだ?
どうしたんだ?

早速、機械を買った店へ電話。
「もし、もし、ヒューズ飛ぶんですけど。」
長いこと使ってませんでした?
えっ、なんで分かるの?
真空ポンプは空気中の水蒸気を吸うので、中が錆びるんですよ。
 ポンプが固着してるはずですから、モーターにかかってるベルトを手で無理やり動かしてください。
 それから真空オイルを買って、中に入ってる古いオイルを完全に抜き取って、新しいオイルを入れてください。


さすが、この道一筋30年、というだけあって詳しいな。
よしとりあえずやってみよう。
ドライバーで真空脱泡機を分解し、ポンプを剥き出しにする。
どれどれ、ああ、これね。
オー・マイ・ゴット!
本当にポンプが固まってて動かないぞ。
思いっきりベルトを引っ張り、数分後には手で動かすことに成功。
よっしゃー! オイルは後回し。
とりあえず、ヒューズを買いに行くか?
またチャリで電気屋へ向かう。
「スミマセン。 さっきと同じやつ5個下さい。 また切れるかもしれないんで。」
よーし、これでOK。

ヒューズをセットし、電源 ON!
あれ、また切れた。
そーかー、オイルも交換しないとダメなんだ・・・
面倒だなァ。
イエロー・ページにポンプ屋の項目はない。
近くの日曜大工店に電話しても置いてないという。
仕方なく大阪、心斎橋のジュエリー工具店に電話。
真空オイルは置いてないんですよ。 取り寄せになります。
 ところで、どうされましたか?

とても親切な店員さん。
「かくかく、しかじかで・・・・・」
よくあるんですよねー、しばらく使わないと。
 大抵は直りますが、ときどき修理不可能なこともあるんですよ。

えっ! 直らない!?
これ確か○十万もしたのに!
しかもほとんど使ってないんだぞ!
どーすんだよー!

あわてて買った店へ電話。
「・・・・・てなこと言われたんですけど・・・」
脅かされましたねー。 でも大丈夫。私の経験では、そういったことは一度もありませんから。
「手で動かすことはできたんですけど、ヒューズはやっぱり飛んでしまうのですが・・・」
おかしーですねー。 オイルは交換しましたか?
「いえ、まだです。 売ってる店が見つからなくて。」
オイルを交換すれば大丈夫ですよ。
「でも、ポンプは手で動くので、オイル交換したところで関係ないですよね?」
えっ、ポンプは手で動くんですか? じゃあ直ったじゃないですか?
「ですから、ポンプは動かせたんですけど、ヒューズが飛んじゃうんですよ。」
は? 手でポンプが動くのに、ヒューズが飛ぶ? それはおかしいですねー。」(だから、さっきから言ってるでしょ。)
「きっとこれは電気系統の不具合なんだと思います。 電気屋さんに聞いてみます。」
そうですね。 その方がいいでしょう。 ところで、ご無沙汰してますが、最近どうされてました?
世間話しをちょっとしてから電話を切ろうとすると、
ヒューズが切れるって、何アンペアのヒューズを買ったんですか?
「5アンペアですけど。」
えっ? おかしいな。 9アンペア以上のはずなのに・・・ 本当に5アンペアですか?
「ええ、ヒューズにそう書いてあったし、電気屋さんも、5アンペアだと言ってました。
 それじゃ、これから電気屋に行きますんで。」
ガチャ。

電気屋へ再びチャリで。
「スミマセン。 さっき私が持ってきた切れたヒューズ、そちらで捨ててしまわれましたが、あれ、まだあります?」
ゴミ箱から取り出してくれたヒューズをよーく見る。
[FUJ I I 5A] と書いてあるが、しかし・・・・
「これ、ひょっとして[FUJ I I  5A]じゃなくて[FUJI  15A]じゃないですか?」
「あぁ、ほんとだ! そのようですね。」
なーにー!!!!
オマエ、電気屋だろー!?
こっちは電気の部品メーカーが「FUJ I」っていう店か「FUJ I I」か知らなくて当然だけど、あんた電気屋だろ?
メーカー名知ってれば 「FUJ I 15A」 って書いてあるって分かって当然じゃないのかァー?!
しかし、ここは低姿勢に、
「あのー、15Aのヒューズ置いてますか? ああ、ありませんか。 分かりました。
 申し訳ありませんが、先程6本ヒューズを買って、まだ2本使ってないのがあるのですが、返品できますか?」
はい、もちろんです!

速攻家に戻り、再びイエローページでホームセンターに電話。
2件目で15Aのヒューズを置いている店を発見。
よっしゃー! 今度はバイクで行くぞー!
途中、先程の電気屋に寄ると、6本分のお金を返してくれるという。
気が付かなかった私にも否があったので、丁重に辞退したが、どうしても受け取ってくれとのこと。
好意をありがたく感謝。
いい人でよかったー。
気分良く電気屋を出て、いざホームセンターへ・・・
しまった、急いでて手袋忘れた。
くっそー、手が冷たいなァー。

手はかじかんだが、ヒューズをゲットし帰宅。
真空脱泡機にセットし、ドキドキしながら電源ON!
やったー! やっと動いた。 ○十万、パーにならないで済んだぜー!
ヒューズが間違っていたために、15時から17時半まで無駄に時間を使ってしまったが、まァ、いいか。

朝10時に始め、18時半まで作業し、休憩している19時に妻が帰宅。
今日は新築祝いで友人の家に遊びに行っていたのだ。
その家は100坪の土地付きで、城のようだったという。
いいなァ。
私には一生手が出せない・・・
こっちは今までどんだけ走り回ってたと思ってるの?
もうっ!



2000.12.06

注 : TCAS = ナビゲーション用の計器の画面上に、他の飛行機がいると表示するシステム

237便、松山−千歳
大阪に近づき、FL370 へ向けて上昇中、FL270 付近で TCAS 上、30マイルに2機の機影を発見した。
ほとんど止まっているか、同じ方向にごくゆっくりした速度で移動しているように見えた。
まさに私達の飛行する経路上にいる。 高度が表示されていなかった。
通常、TCAS で高度を表示しないのは相手のトランスポンダーの機能に制限がある場合で、
セスナの様な装備している計器が安価な場合が多い。
しかし TCAS は私達の飛行高度の上下 2,700ft の範囲内にいる飛行機しか表示しないのだ。
装備が安価な小型機が FL270 の上下 2,700ft にいるはずがない。
そんな高い高度まで上昇できる性能を持っているはずがないのだ。
ということは、トランスポンダーの高度表示機能を停止している自衛隊機だろうか・・・
2機が非常に近い間隔で編隊飛行しているように見えた。
しかし、ほとんど移動しないその速度からいって、ヘリコプターだろうか?
いや、ヘリがそんな高いところにいるはずがない・・・

そうしているうちに私達の飛行経路上をどんどん接近してくる。
このままいったらぶつかるか、上または下をかすめて行くはず。
距離5マイルまで画面上で接近したので、目視で探したが見えない。
この距離で視力1.5の私に見えないわけがない。
そこで管制官に聞いた。
「私達の前方5マイル付近に2機飛行機がいるはずですが。」
その付近を飛んでいる飛行機はありません。
「えっ!?」 と2人で顔を見合わせた。

すると今までほとんど停止していた2機が、すごいスピードで我々の向かって右側5マイルに移動し、
そのまま半円を描くように我々の真後ろへ迂回したのだ!
その後、我々の通ってきた経路上を反対側へ向けてゆっくり移動し、計器の画面上から消えていった。
絶対視認できるはずの距離を通過しながら、見えなかったのだ。

迂回したときのスピードはどう考えても音速を超える速度。
1秒で5マイル以上移動したが、それは1分で300マイル、60分で18,000マイル飛べることになる。
ほとんど空中で停止でき、いきなりそんな高速に加速できる飛行機はいないはず。
ちなみに旅客機は無風状態なら60分で500マイル程度しか進まない。

TCAS は時々、そこに飛行機がいなくても、誤ってランダムに飛行機がいる、という表示をすることがある。
しかし、今回のケースは、その動きがあまりにも規則的だったのだ。
あれってUFOだったのだろうか?と2人で話した。

そういえば、以前、鹿児島の南を飛行中、海に浮かぶ島と同じ位の大きさの白い直方体の箱のようなものが
空中に浮いているのを目撃した、というパイロットがいる。
機長、副操縦士は半信半疑で CA をコックピットに呼んだが、彼女も見たのだという。
しばらくしてその物体は消えていった。
パイロット仲間には、UFO の存在を信じる者がかなりいる。

UFO とは違うが、あるステイ先のホテルで幽霊を見た、という話も聞いたことがある。
私もそのホテルでそれらしき者を見たような気がした経験がある。
そのホテルは昔、病院だったのだが、改装してホテルになったのだという。

「存在しない」ということを証明できない以上、「存在する」のかもしれない・・・・・



2000.12.07

昨日はよい天気だった北海道が雪で大荒れ。
とくに千歳と札幌はメチャクチャだった。

837便、羽田発中標津行き。
昨夜から雪で中標津は Braking Action Medium、比較的滑りやすい滑走路面だ。
横風制限が15ktを受けるのだが、ディスパッチでブリーフィングを受けている頃
丁度横風が強くなりだした。
羽田を出る前、「これはヤバイかも。釧路に Divert したりして。」と密かに考えていた。
離陸してしばらくすると新しい中標津の天気が入った。
横風は弱まっており、雲も無く良好。
これなら問題なし。

さて、東北にさしかかると481便(札幌→中標津)の声がカンパニーで聞こえる。
あれー・・もう中標津に降りているはずなのに、なんでまだ飛んでるの?
きっと札幌が大雪で除雪が遅れ、出発が遅れたのだろう・・・

カンパニーを聞いていると函館→札幌便が札幌空港の除雪状況を聞いている。
「私達が降りる前に495便(札幌→稚内)が上がるんですね?」
つまり、函館から来た飛行機は、札幌上空で待つことになるのだ。

いつもなら、482便が離陸してから837便は着陸する。
この日は481便の到着が遅れたために、
481便からの折り返し482便(中標津→札幌)は、私達が着陸するまで離陸できず、
待たされたため、40分遅れで出発していった。
ゴメンナサイ。
お疲れ様です。

中標津から838便で羽田に向け折り返し。
出発前、積乱雲が空港の上空にきたため、ものすごい勢いで雪が降り出した。
視程 800m、雲は Few 400ft、Broken 700ft、風 300°/14kt。
もし837便で着陸時にこんな天気だったら中標津には絶対に着陸できなかっただろう。
私達は運が良かったわけだ。
とっとと離陸して中標津を後にした。

カンパニーがガンガン入ってくる。
「何分 Hold するんですか?」 「Spot 空いてるんですか?」
千歳が大パニック。

まず、昨日私達が乗務していた237便が千歳に降りれず旭川へ Divert した。
さよーならー・・・・

482便は札幌空港の上空で Holding 開始。
札幌はエコーがかぶっており(積乱雲が上空に来ている状態)、降りれないのだ。

59便、千歳着 11:35 定刻の飛行機が 11:40 に上空からカンパニーを呼び出している。
「Spot 8、今空いてます?」
「12:00 に Push Back する134便がいますので 12:00 までふさがってます。」
ちなみに134便は 11:00 発が定刻。

定刻 11:00 に千歳着の131便は 11:45 に新潟上空で Holding させられていた。
カンパニーを呼び出している。
「千歳、今どれくらい待たされてます?」 「20〜30分です。」
その後、11:55 に新潟を出た131便は、次は青森の上空で Holding するよう指示されていた。
そして最終的に 12:54 に到着していた。

何よりもすごかったのは、千歳発羽田行きの3便、定刻 07:50 発の50便と、09:20 発の52便、それに
定刻 10:30 発の54便が、同じ時間帯にほとんど同じ空域を飛行していたこと。
これだけまとまって羽田に向かう便がある、ということは、羽田が混み、私達まで遅れる、ということである。
案の定、花巻近辺で後ろから来た52便 のジャンボに抜かれてしまった。
ジャンボは私達の乗る A320 より巡航速度が速いのだ。

関東に近づくと千歳行きの61便が上がってきた。
定刻 11:00 発なのに、12:30 にまだ関東にいる。
つまり遅れたのだ。
後で調べてみると、12:10 に出発していた。
千歳から飛行機が帰ってこないと、羽田から折り返し千歳へ行く飛行機がいない。
どこか違う所に行くはずだった飛行機を、なんとか都合つけてもってきたのか?

羽田へのアプローチの順番は 52便 − 838便(私達)− Air DO − 54便 だった。

ちなみに以下が、遅れた便の例;

便 名 定 刻 所要時間 実際の
出発・到着時刻
実際の
所要時間
定刻の
出発時刻からの遅れ
千歳→羽田  50便 0750−0920 1+30 1100−1246 1+46 3時間10分
 52便 0920−1050 1+30 1114−1259 1+45 1時間54分
 54便 1030−1200 1+30 1130−1310 1+40 1時間00分
羽田→千歳  59便 1000−1135 1+35 1038−1230 1+52 0時間38分
 61便 1100−1230 1+30 1210−1355 1+45 1時間10分
千歳→大阪 131便 0920−1110 1+50 1028−1254 2+26 1時間08分
千歳→大阪 132便 0750−1000 2+10 1004−1222 2+18 2時間14分
134便 1100−1320 2+20 1203−1416 2+13 1時間03分


千歳に降りれず旭川に Divert した237便だが、その後千歳へ戻り、
中標津行きをキャンセルして238便で松山に向かった。
通常237便に続くパターンは、千歳−中標津往復の484、485便、
その次が238便で松山へ、最後に松山−関空を往復して終わる。
しかし、484、485便を飛ぶことで、238便が遅れると、
関空発松山行きの最終便が、松山空港の門限に間に合わなくなってしまう。
他に飛行機が余ってないため、次の日のこと等も考慮に入れ、会社は涙をのんで484、485便を切るのである。
欠航を決める担当者は、きっと心が痛むであろう・・・・
迷惑をかけてしまったお客さんに、航空業界で働く一人として心から謝りたい。
本当にごめんなさい。

これから雪の季節になると、こういった状況が多々発生してしまう。
パイロットにとっては当たり前のことで、
自分が乗務する日が大雪の日に当たればアンラッキー、というだけのこと。
乗りなれたビジネスマンならともかく、普段飛行機に乗らない観光客にとっては、
初めての飛行機で、大幅に遅れ、その後のスケジュールが滅茶苦茶になったり、
最悪着陸できず Divert したり、飛行機がいないために便がキャンセルになったりしたら、
それこそ飛行機嫌い、飛行機不信になってしまうかもしれない。
だが、どうか理解して頂きたい・・・・・・

838便で羽田に到着した私達は、447便で大館能代へ向かった。
447便は定刻に出れそうだったが、何故か1名、搭乗を取りやめた乗客がいたため、
その荷物の取り降ろしに時間がかかり、5分遅れになってしまった。
時々そういう乗客がいるのだが、何故、止めるのだろう?
飛行機恐怖症なのだろうか?
閉所恐怖症なのだろうか?
イヤ、きっと急な予定の変更でも携帯に連絡が入ったのでしょう。



2000.12.08

私が入社試験で面接を受けたとき、面接官をしていたキャプテンとの乗務だった。

575便(羽田→石見)
上空は強いジェット気流が吹いており、
普段なら FL350 又は FL390 で行くのだが、今日は低目の FL220 で石見に行くことになった。
ラッキー! 疲れなくて済むぜー!
だが、以前も説明したように、高目の高度ほど燃料消費量は少ないはず。

今日の飛行計画によると、
FL220 所要時間 1時間22分、必要燃料 8,609ポンド、平均風速 向かい風  58ノット
FL350 所要時間 1時間31分、必要燃料 8,598ポンド、平均風速 向かい風 152ノット
FL350の向かい風が強すぎるため、飛行時間が長く、このため燃料消費量がほとんど変わらないのだ。
しかも、到着が9分も早くなるのである。

そして折り返しの576便(石見→羽田)
飛行計画によると、
FL250 所要時間 1時間14分、必要燃料 6,602ポンド、平均風速 追い風  73ノット
FL370 所要時間 1時間06分、必要燃料 5,823ポンド、平均風速 追い風 160ノット
消費燃料が780ポンドも違うのだから、当然 FL370 で帰った。
実際、名古屋付近では風が 265°/180kt、追い風で時速325km。
飛行機は445ktで飛行しており、地面に対する速度は625kt(時速1100km)だった!



2000.12.11

今日の勤務は  0700 Show Up  752便 宮崎−福岡 0800−0845
                     329便 福岡−新潟 0920−1050
                     330便 新潟−福岡 1130−1315
              JAS で DH 837便 福岡−宮崎 1405−1445

朝起きてニュースを見ると、新潟から東北にかけて雪の予報。
イヤーな予感・・・・・

宮崎のディスパッチで天気を見ると、本州を東西に飛行する場合、中間高度は揺れる予想。
つまり新潟と福岡間は高い高度しか選べそうにない、ということ。
そしてジェット気流は、最高で210kt(時速 400km!)も吹いており、
新潟 → 福岡の便ではこれがほぼ向かい風になるのだ。
JAS で福岡から宮崎まで移動するのだが、その便に間に合わないほど330便が遅れる可能性がある。

宮崎から福岡へ飛び、着陸後、カンパニーで新潟の最新の天気を聞く。
予報では横風が強く、雪が積もるとまず降りれないし、降りれたとしても着陸前ガタガタに揺れるかと想像していた。
しかし、幸い気温が若干高く、5℃。 雪は積もっておらず、また風も予報より弱め。
これなら問題なし! さァー、とっとと出発するぞー!

整備さんが、出発をちょっと待つように言ってきた。
どうやら胴体(機体)のおなかの部分に少しへこみがあるらしい。
どれどれ・・・あーこれね。
うーん・・・大丈夫でしょ?
でもどうすればこんなところがくぼむんだろう?
「ま、飛行には問題ないですよね?」
ええ、問題ないでしょ。」、と整備さん。
今、整備部に確認取ってますんで、もうちょっと待ってください。 すぐ出発できると思いますんで。

時計を見ると、329便の出発が明らかに遅れることがわかる。
でも、行きは追い風時速400kmに乗っていくから、定刻より相当早く到着できるはず。
少々遅れても大丈夫。
帰りの便が定刻に出発できれば、問題ないだろう・・・・

しかし、いくら待っても、整備さんから「行っていい」との許可がおりない。
10分以上329便が遅れることが分かった時点で、JAS 837便は半ば諦め、次の宮崎行きを時刻表で調べる。
どれどれ、次は 16:40発かァー。
2時間以上遅い便しかないわけね・・・・
ま、仕方ないか。

しばらくして、飛べない、という判断に変わったことが整備さんから伝えられた。
この「へこみ」、軽微すぎる事項のため、整備規程に決める必要性がないのだが、
飛行機の場合、規程にない以上、法的な手順を踏む、という意味で確認を取る必要が発生してしまう。
規程に定められていないなら、どうってことのないこと、だから飛べる、という判断はしない。
念には念を入れて、本当に大丈夫なのか立証して、そのうえで飛んでいい、という許可がおりるのである。
したがって、整備規程に定められていない以上、製造元のエアバス社に確認を取る必要があるのだ。

いまエアバスの本社があるフランスは真夜中でしょ?
どうやって確認とるの?
確認できないんじゃないの?
っていうことは、この便キャンセル?
だとすると、僕は今日は仕事終わり?
それとも、どっかから飛行機持ってきて出発遅らせて就航させるの???

しばらくすると、私達の乗ってきた飛行機による就航は不可能、ということが決定。
近くに駐機してあった、ボーイング737で新潟へ行くことになったのだった。
行きの329便は乗客33名だったのでそれでもいいが、帰りは138名の予定。
ボーイング737は満席で126名しか乗れないのだ。
誰かが降ろされることになるのだろうか?
こんな時、アメリカのある航空会社では、100ドル札をちらつかせ、降りてくれた人にあげる、
とアナウンスするらしい。
お札を何枚かに増やすと、必ず自分から降りてくれる人がいる、という。
しかし、日本ではそういう行為はありえない。
誰かが強制的に降ろされるのである。
かわいそうに。
せっかくの楽しい旅行が、それにより不快なものに変わってしまうかもしれない。
そう思うと心が痛む。
不幸にも福岡空港には余ってるエアバスはなかったのだ。

さて、キャプテンと私は、というと、この日の乗務はこれで終わりになった。
キャプテンは 11:00 発の東京行きで帰っていった。
私は 11:50 発の宮崎行きに乗ることに・・・・
福岡の乗員室に行くと、飛行機をどうやって壊したのか野次られてしまった。
早く仕事が終わってしまい、みんなに羨ましがられた。
乗客に迷惑をかけて申し訳ないのだが、パイロットにとって早引けできるのは、
飛行機が壊れるか、天気不良のために便がキャンセルになったときぐらいなのだ。



2000.12.12

昨日の330便は救済されたことが今朝分かった。
大阪からスタンバイのキャプテンとコーパイ(副操縦士)が、フェリー(空で空輸すること)で
新潟まで飛行機を持っていき、330便を就航させたのだった。
329便で飛んだボーイング737は空で福岡へフェリー。
当然、空のボーインング737はエアバスで就航した330便と同じコースを飛行。
かなり燃料は使ってしまったが、12名の乗客に迷惑をかけないで済み、ホッとした。

私の代わりに330便を飛んでくれたキャプテンは課長で、コーパイは私よりうんと年配の話の楽しい方。
私がホテルでくつろいでいる間、飛んで頂いてしまって、とても申し訳ないことをした。
ありがとー!!
が、こういうことは、必ず自分にもめぐってくるのである。
その時は快く仕事を引き受けるつもりだ。

今日も昨日と同じパターン。
福岡 → 新潟は当初 FL370 の予定だった。
今日の上空の最大風速は FL390 近辺で 220kt と昨日より速かった。
FL370 に達し水平飛行に移るとコトコト揺れが続いた。
この時の風は 270°/190kt、飛行機の地面に対する速度は 600kt。
揺れるので若干追い風が減る FL330 に降りて気流は完全にスムースになった。
FL330 では風は 270°/160kt、飛行機の地面に対する速度は 560kt。
30kt (約時速 70km)分の追い風を損している計算になるが、乗客の快適性には代えられない。
(飛行機の速度はマイナス 40kt で、風の減速分より大きいが、これは高度による空気密度の違いによるもの)
飛行機の速度が 40kt 減ったせいで、FL370 で飛行した場合より到着は4分遅れた。
その分、燃料も多く使ったが、定刻よりは早く着き、定時性は守れたので、まァ良しとするか。
エアラインでは、この「定時性」、「快適性」、「経済性」(燃費)、の3つの要素の
どれをそれぞれのフライトで優先するかを決めながら飛行するのである。
もちろんその判断は機長が決めるのだ。

新潟へは雪雲の中を通り抜けてのアプローチであり、
そして地上の風がとても強く、進入、着陸ともにガタガタだった。
それでもディスパッチによると、昨日に比べるとまし、とのことだった。



2000.12.13

11日に乗った、胴体のおなかの部分に少しへこみがある機体に乗った。
例の凹みを見てみると、そこの部分全体が取り替えてあった。
非常に大きな鉄板だが、やっぱり、交換ってできるんだァー! って少し驚いてしまった。
確かに内側から叩いて押し出すことは不可能な場所だったし・・・・



2000.12.17

837便(羽田→中標津)
羽田から上がって上昇中、FL260 で風 270°/110kt。
突然大きく揺れだし、FL280 で風 270°/160kt。
FL260 〜 FL280 の間、約 2,000ft で 50kt も風が増速したため、LGTP(Light Plus)程度のタービュランスだった。

838便(中標津→羽田)
中標津を出発して釧路にさしかかると、釧路発羽田行きが上がってきた。
まずい。 抜かれる。
時刻表を調べると羽田の到着時刻は私達と同タイム。
飛行機はエアバス320で、私達と同タイプで巡航速度も一緒だ。
私達はマック0.78以上で、彼らはマック0.78以下で飛行するよう、管制官に速度調整され、
私達が先、彼らが後になった。

羽田は珍しく Visual 34L。
私にとっては初めてのアプローチ。
いつも通りアプローチすると高くなり、高度処理ができないことはすぐに気が付いた。
早めに降下し、準備をしておく。
どの飛行機のあとだろう?
あれか。
あのトリプル・セブンの後か。
結構近いな。
まァ、4マイル弱 間隔があれば大丈夫だろう。
これ以上近づかないようにスピードを落とそう。
「Gear Down.」
空気抵抗を使い減速。
続けて着陸フラップまで降ろし、A320 の最低速度まで落としていく。
アクアラインの通風孔を 1,300ft で回り込めば、丁度 3°Path になる。
通風孔は ILS 34L の ILS/DME から4マイル。
VOR/DME から5.7マイルか。
これは今度 34L にビジュアルアプローチするとき使えそうだぞ。
覚えておこう。

定刻より9分前に着陸し、5分前に Spot-in した。
すると、目の前でエアバス320がゴーアラウンドし、上昇していくのが見えた。
コールサインを聞いていると、それは先程の釧路から上がってきた飛行機だった。
キャプテンと 「先行機が近すぎたんでしょうかねェ?」 と話しているところへ、
管制官が 「何故ゴーアラウンドしたのですか?」 と聞く。
すると、「高度が高かったんで。」
北からアプローチすると、ILS と Visual とでは高度処理の仕方が全然違う。
きっと計算を間違ってしまったのだろう。
あれが私でなくて良かった・・・・・
「Request another Visual Approach.」 と管制官に聞いていたが、
トラフィックが多すぎて ILS になってしまった。
きっと遠くまでベクターされてしまうのだろう。

447便(羽田→大館能代)では着陸して Ramp-in 後、女性の客さんで1人気分の悪くなってしまった方がいた。
降下中から頭から肩、腕にかけてしびれたという。
そしてこれが始めてではなく、3年程前に飛行機に乗ったときも、同じ症状になったのだそうだ。
しばらく機内で休んでから、ご自身で歩いて降機した。
特に体に異常がなければ良いのだが、心配である。



2000.12.18

ジェット気流のせいで、高い高度は揺れていた一日。
東京−石見を一往復半もしたので、中間高度で飛行できたことは嬉しかった。

577便(羽田→石見)で石見に向けてアプローチ。
地上の風は 320°/5kt。
滑走路は29だろうなァ?(通常飛行機は向かい風で着陸する。)
さっきアナウンスで定刻より5分早く着くって言っちゃったけど、
FL240 で揺れて減速して、さらに FL200 に降りたから、5分早着は無理だよなァ・・・・
29で降りると滑走路の端まで Taxi して(地上滑走して)から引き返さなきゃならないから、
Spot-in で定刻よりも2分は遅れるだろうなァ。
テイル(Tail Wind = 追い風)3〜4kt 程度だったら 11で降りればなんとか2〜3分早着できそうなんだけどなァ。
でも、着陸性能的にはやっぱり 29 で降りるべきだろうなァ。
どうすっかなァ?

「キャプテン、すみません。 カンパニーで 11 で降りた場合のテイル成分、聞いていただけますか?」
追い風は 2〜3kt だった。
「じゃァ、ウエイト軽いし、11 で降ります。」

 追い風で降りると、地面に対する速度が速く、それだけブレーキの効きが悪くなる。
 また、ウエイト(飛行機の重量)が重くても制動距離が伸びてしまう。


よーし、スピードはミニマムでもって行くか。
320°の方向の風なら気流も悪くないだろうし。
(気流が悪いときは、速度を速めにして着陸する)
接地点になんとか着けれるようにもって行こう。
最悪、最後の接地帯標識が見えなくなりそうになったらゴーアラウンドしてやり直そう。

結局、イメージしていた通りに着陸することが出来た。

180便(石見→伊丹)で伊丹に向けてアプローチ。
「じゃ、ランディング・ブリーフィングやっときます。 大阪はテイルが強めなんで、長い方の 32L に降ります。
 関西アプローチにコンタクトしたら、Request 32L。 視程もいいし、雲もないので Visual の予定です。
 ・・・・・・ etc. etc.」 
(着陸前に操縦している人が、操縦していない人に対してブリーフィングをする。)
そしてキャプテンが関西アプローチにコンタクトすると、
Do you accept PAR runway 32R ?」 と管制官が聞いてくる。
「テイルなんで、32L 要求してください。」 キャプテンがそのように管制官に言うと、
Do you accept PAR runway 32L?」 と管制官、あくまでも PAR アプローチをして欲しい様子。
私は、悪いなァ、と思いつつも 「Visual 32L 要求してください。」 とキャプテンに頼む。
管制官は 「Roger.」 と一言、冷たく言い放った。
ゴメンナサーイ!

伊丹空港には自衛隊のアプローチ方式の「PAR」というものがある。
エアバス320は、飛行機が小さく、短い方の滑走路 32R を使うように指示されるのだが、
追い風の時は制動距離が伸びるので、長い方の滑走路 32L を使う。
そして、PAR アプローチは通常 32R で行われる。
追い風だから、という理由で 32L を要求した時点で、まさか 32L の PAR アプローチをしてくれないか?
と管制官に聞かれるとは、私は考えていなかった。
PAR アプローチは飛行機を滑走路に誘導する自衛隊の管制官にとって難しいアプローチで、
天気の良い日に、管制官が練習しなければならない。
その練習に付き合ってあげるのが伊丹の PAR。
ここで訓練を受けた自衛隊の管制官が、きっと札幌の丘珠空港のような、
雪による視界不良で条件の悪い空港で、実際のアプローチに使うのであろう。
私も札幌にいたころは随分お世話になっている。
だから、南からアプローチする際、高知から帰ってくるときなどは、
関西アプローチの管制官に PAR をしてくれないか? と頼まれれば、通常 accept する。
しかし、180便のように北からアプローチする場合、Visual で降りるのと比べ、
PAR ではとても遠回りになり、着陸も3〜4分は違うし、燃料もそれだけ余計に使ってしまう。
しかも今日は高高度の気流が悪かったため、低高度を飛行したため、いつもよりかなり燃料を使ってしまった。
今日飛んだ4便で、合計2000ポンドは余計に使ってしまったのだ。
昨日聞いた話によると、ジェット燃料は軽油とほとんど同じ値段とか。
つまり、20万円近く燃料を垂れ流してしまったことになる。
そして、4便を合計して乗客は170名程度。
1便に換算すると、搭乗率25%。
赤字もいいとこ。 飛行機を飛ばしただけ、会社は大きな損失を出したわけだ。
だから、少しでも燃料を節約するために PAR で遠回りをしないで Visual で降りたかったのだ。

私達の後にアプローチする飛行機にも、「Do you accept PAR runway 32R ?」 と管制官は聞いていた。
その飛行機が 「We accept PAR 32R.」 と答えると、
Thank you very much.」 と管制官が言っていたが、あれは私達に対するあてつけだったのだろうか?
だって、私達が高知から伊丹にアプローチするとき、何度も PAR を accept しているが、
一度たりとも管制官に 「Thank you very much.」 と VERY MUCH までつけられたことはない・・・・

こんな理由で、今日は PAR アプローチを断りました。
もし、関西の管制官の方が、ムッとしたのなら、誤ります!
わがままですみませんでした!
次は必ず PAR やりますんで、許してくださいネ!!!



2000.12.19

12月に入ってから21日まで、毎勤務、朝5時起き。
体がそれに慣れてしまっているので、休みの日も5時に目が覚めてしまう。

妻へのクリスマス・プレゼントのネックレスを仕上げた。
出来上がると奪い取るように身につけ、鏡の前を何度も往復している。
そんなに気に入ってくれたのだろうか?
女性は何故ジュエリーが好きなのか、不思議だ。



2000.12.20

昨日、私は休みだったが、北海道は雪で荒れて大変だったようだ。
837便(羽田→中標津)が天候不良で、中標津の上空に達する前に羽田に引き返した。
301便(高知→千歳)は函館へ Divert し、函館からフェリーバックで高知へ引き返した。
そんな天気はウソのように、今朝の近畿地方は、低高度は気流が良好だった。

西から前線が近づくに従い、通常飛行する FL160、FL150 では雲に入りそうで、
低めの 12,000ft、13,000ft で大阪−高知を往復した。
時間が経つにつれ、除々に 13,000ft も揺れ出し、11,000ft に降りて気流は良好になった。
曇天だったが、もやがかった山々がとても情緒的で美しかった。

404便で高知から伊丹へ 11,000ft で飛行中、
松山から伊丹に帰ってきたB6(ボーイング767)が、我々とほぼ並んで飛行していた。
約1分程度の差で私達のアプローチはB6の後になってしまった。
伊丹へ南からアプローチする際、
私は通常篠田の上空を 6,500ft 〜 6,000ft で通過するように降下計画を立てているが、
このB6はそれよりかなり手前から降下し始めた。

320ktで 11,000ft を飛んでいた私達は、あと10マイルほど降下する必要はなかったが、
B6が降下してしまい、10,000ft より下に高度を下げたため、彼らは速度を250ktまで減速しなくてはならない。
(航空法で 10,000ft 以下は速度 250kt 以下、と決まっている)
私達は横に並んでいる彼らを追い越してアプローチすることはできないことが分かっているので、
不必要だったが70kt(時速126km)も減速し、250ktで飛ぶことにした。
それでもB6との距離が近すぎて、210ktまで減速、さらに190ktまで減速するよう管制官に指示された。
なんで、あのB6は、あんなに早くから降下を開始したのだろうか?



2000.12.21

ホテルを早めにチェック・アウトしてキャプテンを待っていると、予期せぬ方がエレベーターを降りてきた。
毎日の勤務を誰と一緒に飛ぶ予定なのか、必ずチェックしているのだが、
スケジュールの見間違いをしたのだろうか?
「キャプテン、今日、スケチェンですか?」 ( スケチェン = スケジュール・チェンジ = 勤務の変更)
そうなんだよ。 本当は○○さんだったんだけど、北海道がおととい荒れた関係でさ、急遽、オレになったわけよ。
なーるほど、そういうわけか。
それにしても○○さん、この間も千歳に降りれなくて旭川に Divert したばっかりなのに、大変だなァ。
そういえば、室長もスタンバイ稼動してたみたいだし・・・・・

329便で福岡から新潟へ向かう途中、CA から連絡があった。
どうやら男性の乗客1名が、真っ青な顔をして、空いている席で寝込んでいるようだ。
苦しいから話し掛けないで欲しい、と言われたとのこと。
同伴の男性が面倒を見てくれていた。

急病人が発生すると、緊急着陸することがある。
すでに美保の上空を過ぎてしまっている。
今だったら、富山が一番近いが、仮に新潟まで行ってしまっても、到着時刻は5分も変わらないかな?
それなら、他のお客さんのことも考えると、新潟に行くべきか?

結局、除々に体調は回復したようだった。
地上係員にカンパニーで車椅子の手配を要請したが、
新潟に着陸後そのお客さんは客室でしばらく休んだ後、自分で歩いて降りていかれた。
無事でよかった。



2000.12.24

夜、会社から電話があった。
イヤーな予感。
私の26日の勤務はスタンバイ。
ひょっとしてスタンバイ稼動の話なんじゃないのかなァ?

「もしもしー、○○です。 申し訳ないんですが、26日 ”せんくま” お願いしたいんですが・・・・」
やっぱりそうだよ・・・・ 向こうも言いにくそうだった。
”せんくま” とは仙台熊本の略で、関空−仙台 を飛んだ後、関空−熊本 を往復する結構きついパターンのこと。
スタンバイは勤務が 10:30−17:00 で、通勤時間を考えると家を 10:00 に出て、帰宅は 17:30 頃になる。
”せんくま” を飛ぶと、関空出退勤となるので、家を 6:10 に出て、帰宅は 17:00 頃。
また5時起きかァー・・・ それにスタンバイで勉強しようと思っていたのになァ・・・・
でも、ここは明るく振舞わなくっちゃ!
「はい、OKっすよ! やります!」


この時期になると、去年の年末のことを思い出してしまう。
2000年問題でコンピューターの誤作動がうわさされた。
最近の飛行機はコンピューターを積んでおり、上空でバグったり、フリーズしたりしたらどうするのか?
A320 は計器のほとんどがコンピューターのディスプレーと同じだ。
画面が消えてしまったら、全てのエンジン計器が見えなくなってしまう。
誰もが若干は不安を覚えたはずだった。

そんな中、業務連絡が出た。
コンピューターの2000年問題には充分な対処がされており、誤作動の恐れは全くない。
2000年の元旦に乗員がみんなで有休を取ると、便が全てキャンセルになってしまい、
乗客に多大な迷惑をかけることになるので、有休を取ることを自粛するように。
そういった内容の御ふれが出た。
確かにそれもそうだ。
私はそれを読み、当初有休を取るつもりだったがやめることにした。
どこの航空会社だったか、確かヨーロッパの会社だと思うが、
2000年問題に備えて、全便欠航することを会社経営者が決定し、新聞で発表して乗客の理解を求めていた。
外国ってさすがだよなァーと思ったものだ。

ある日、フライト中に2000年元旦の有休取得の話しになった。
「僕、業連見て、結局有休出すのやめました。」
なんで? みんな有休出してるよ。 だって、有休出さなきゃ絶対元旦休みにはならないんだぜ。
 出しときゃ、ひょっとすると休みになるじゃん。

マジー!!??

飛行機を降りてから有休申請の状況を見てみると(パソコンで管理されている)、
確かにほとんど全員が申請をしていたのだった・・・・・

2000年問題で一番ヤバイのは元旦の朝一の便であり、幸い私は午前中も半ばのフライトになったので、
全く問題はなく、不安な思いをすることにはならなかったのだが。

結局、何の誤作動も起きなかった。
めでたし、めでたし。



2000.12.26

朝5時20分にセットした目覚ましが鳴り続けていたが気づかず、しばらく起きれなかった。
昨日ウエイト・トレーニングを激しくしすぎたせいか、全身筋肉痛。
大抵はアラームが鳴った瞬間、1つ目の音が消えないうちに目が覚める私だが、今日は違った。
よっぽど疲れていたのだろう。

スタンバイ稼動となり、関空−仙台、関空−熊本 を往復したが、
天気が良く、とくに問題も発生せず、穏やかな1日だった。

254便で熊本から関空へ向かう途中、コンピューターが計算する関空到着予定時刻を確認する。
15:12 かァー・・・・・。
関空発尼崎行きのリムジンバスの出発が 15:25、15:45。
45分のバスは確実に乗れるが、25分のに乗れるだろうか?
Spot-in したのが 15:13。 後片付けをしているとお客さんは少なかったので全員降機終了。
キャプテンから必要書類にサインをもらい、時計を見ると 15:17。 かなりきびしい。
「キャプテン、私、25分のバスに乗れるかトライしてみますんで、お先に失礼します!」、とコックピットを後にする。
10kg以上あるフライトバッグを片手に持ち、もう一方の手に制服の帽子と上着をわしづかみ。
そして走る。
頑張って走れば飛行機を降りたところからバス停まで約4分。
途中、腕が疲れて立ち止まり、カバンを持つ手を持ち替えて、また走る。
バス停に着いたのが 15:22。
出発3分前。
やったー、間に合った!
ゼーゼー肩で息をしながら切符を買い、バスに乗り込んだ。

23日も同じように関空でバス停まで走った。
バス停に着いたのが出発3分前。
切符を買おうとポケットに手をやるとサイフがない!
どこに落としたんだ!?
フライトバッグには、緊急時に備えてお金を入れてあるが、サイフを落としてしまったのなら探さなければ。
もしかしてコックピットで落としたのかなァ?
私が降りた飛行機は、あと15分もすると乗客の機内への案内を開始するはず。
それまでに見つけないと・・・・・
すでに疲れきっていたが、仕方なく来た道を走って戻った。
だが、コックピットにもサイフがない!
椅子の上、床、どこにもない!
どうしよう・・・・
まさか、家に置いてきたのでは・・・・
電話しよう。
あ、でもテレカもないんだっけ。
私は携帯電話も持っていないし、フライトバッグに入っているのは1万円札。
GHさんに事情を説明し、電話を貸してもらった。
「もしもしー、あ、オレだけど、サイフそこにある?」
あるよー。
良かったァー。
再びバス停に戻り、30分後の尼崎行きのバスに乗ったのだった。

関空でフライトが終わり退社するときは、リムジンバスや「ラピード」、「はるか」を使って帰宅するが、
こんなバトルが繰り広げられている。



2000.12.27

407、408便で 大阪ー高知 を往復し、その後中空きで、413、416、417便と 伊丹−高知 を1往復半のパターン。
408で伊丹に到着し、事務所に戻ると409便でDH(便乗)し、高知へ行ってくれ、とのこと。
そして416、417便だけを飛ぶことになった。
どうやら 高知−千歳 を往復する飛行機が千歳に降りれず、旭川に行ってしまった関係で飛行機が足らず、
412、413便がキャンセルになったようだった。
幸い、その前後の便にお客さんを振り分けることで、乗客全員を救済することができた。
千歳空港は例年に比べて雪が多く、
何度も Runway Close(積雪が多すぎ、除雪のために滑走路を閉鎖する)している。

409便で高知につき、ディスパッチへ行った。
私達は旭川からフェリー(空)で飛んでくる飛行機を使って416便を飛ばすことになっていたが、
その到着予定時刻が 18:08。
旭川に降りてしまったため機内の清掃をすることができず、高知に到着後することになっていた。
ディレイセット(Delay Set = 出発時刻を遅らせること)され、出発は 18:30 となった。
416便の定刻は 17:45 なので、45分遅れだ。
18:30 に416便が出発できたと仮定して、通常の飛行時間、大阪での清掃時間、
乗客を機内に案内する時間を足していくと、417便で高知に到着する予定時刻は 20:25 となる。
これより遅れると、高知空港の運用時間 20:30 に引っかかってしまう。

どの飛行場でも「運用時間」が設定されており、その時間を過ぎると飛行場は Close となる。
例えば、飛行場施設の照明が消されたり、無線施設の電波を停止させるのだ。
従って、運用時間内に到着できない場合、運用時間を延長するように航空局に要請しなくてはならないのだが、
できるだけ、そういった事態に陥らないようにするため、各航空会社は努力するのだ。

私達の門限は 20:30。
それまでに Spot-in しなくてはならない。
清掃の方々が頑張って急ぎ、GHは乗客がスムーズに搭乗できるように準備を万端に整え待機してくれた。
上空ではガンガン飛ばして飛行した。
そのおかげで、417便は 20:10 に高知空港に Spot-in することができた。
だが、本来の定刻 19:40 からは大幅に遅れてしまい、乗客に多大な迷惑をかけてしまった。

千歳の大雪のせいで 301便だけではなく 237便も大変だったようだった。
松山を 10:00 に出発し、千歳まで行ったが降りれずに上空で待機し、燃料が尽きて大館能代に Divert。
大館能代に 12:27 に着陸し、燃料を搭載してから再び 13:28 に離陸。
千歳まで行ったが雪でまた降りれず待機した後、あきらめて旭川に Divert。
旭川空港に到着したのは 16:24 だった。
この飛行機、通常は 237便で千歳に着いた後、
千歳−中標津を往復し、松山へ行き、そして松山−関空を往復して松山で終わるのだが、
その全ての便が欠航になってしまったのだった。



2000.12.31

今年も残すところあとわずかとなりました。
2000年はみなさんにとってどんな年だったでしょうか?

私にとって、2000年にした最も大きな仕事は、このホームページを立ち上げたことです。
春頃から 「HTML ファイル」 の勉強をし、ホームページ・ビルダーを駆使して「ギャラリー」を作りました。
アクセス・カウンターはどうやって作るの?
検索エンジンにはどのように登録するの?
「CGI」ってなに?
Java-Script?
Dynamic HTML?
Style Sheet?
???????
何から何まで分からず、ステイ先で何度本屋に通ったことか。
そして何時間も立ち読みしました。(本屋さん、ごめんなさい!)

夏の終わりに足を怪我して会社を3週間ほど休んでいる間に、ダイアリーを書くことを思いつきました。
最初は、誰が私の日常の生活について書かれていることを読んでくれるのか?
そんなことに興味を持ってくれる人なんていないんじゃないのか?
そう思ってました。
でも、私ごときの人生に何が起こっているのか、
関心をもって下さった方からメールを頂くようになり、自信がつきました。

その日に起こった小さな出来事を一つ一つ思い出しながら、
DH(便乗)で移動中や、通勤途中、少しでも時間を見つけて忘れないうちに下書きをしました。
ステイ先などパソコンを広げられる場所に行っては、すぐ打ち込み、
自宅に戻ってからも時には数時間も打ち込み、そして更新。
でも努力した甲斐がありました!
アクサス・カウンターを見ながら、「読んでくれてる!」って励まされました。
みなさん、どうもありがとう!!

小さな頃から「国語」が苦手で、テストはいつもクラスでビリでした。
なかでも作文が苦手で、感想文を書く宿題など、大嫌いでした。
文章を書くことに対するコンプレックスがあった私ですが、少しだけ自信もつきました。
これもみんなさんのお陰だと思ってます。

来年もバリバリ書くつもりですので、どうぞよろしくお願いします。

元旦の勤務が初便の私は、朝5時20分起きのため、大晦日ですが紅白も見ずに夜9時には寝る予定です。
みなさん、よいお年をお迎えください。

I wish you all a wonderful new year, 2001!!



中標津空港からの景色!  今まで行った空港のなかで、私が最も好きな場所です・・・・・