2001.07.01

最近運動をしていないせいか体調が悪い。 色々試してみたが、歩くだけじゃダメみたいだ。 走らないと。
そうキャプテンが言っていた。

「そうですか? 僕は歩くだけでもいいと思うんですよ。
ただ、早歩きで歩いて、途中、立てなくなるまで、
 又は呼吸が苦しくて息ができなくなるまでヒンズースクワットやるんですよ。
 そしてスクワットが終わったら休まずすぐに歩き、また呼吸が整い、太ももが少し回復したら同じことをするんですよ。」

昔、ダイエットをしていた頃、私はよく川原でやっていた。 よくやったよなあ・・・・
あの頃は必死だったから何でもやったけど、傍から見たらきっと変に見えるんだろうな。
こんなことひとに勧めるなんて・・・・
言いながら思った。

だが、有酸素運動ばかりしていると老化現象が進む、とひとから聞いたことがある。
つまり走りすぎは良くない、と言うのだ。
確かに若いマラソン・ランナーの体は、既に50歳程度まで老化している、という話を聞いたことがある。

有酸素運動は何故必要か?というと、心肺機能を高めるためだ。
肺や心臓を強くし、血中の赤血球が酸素を運ぶ効率を上げてやれば良いはずだ。
だとすれば有酸素運動を長時間するのではなく、心拍数が急激に上がる無酸素運動をすれば良い。
その上がった心拍数が少しずつ下がる間、早歩きをして脂肪を燃やし、
(心拍数が低い運動の方が脂肪を燃やし、心臓に負担がかかる運動ほど炭水化物を燃やす)
心拍数が一定以上に下がる前に再び心拍数を急激に上昇させれば良いのではないか?
だからジョギングをするより、短距離ダッシュを繰り返し、
そのインターバル中に早歩きをするのが最も良い、というトレーニング法を読んだことがある。
これは私のしていたヒンズースクワット法と同じではないのか?
でもアスリートでもない一般人がダッシュと早歩きを繰り返すのも、
なかなか傍から見ていて変に思えるかもしれない。

人目を気にせず、自分に合った方法で運動すれば良いはずなのだが、切羽詰らないとなかなか出来ないものだ。


2001.07.02

松山 → 関空 → 女満別 → 関空 → 高知 がオリジナルのパターン。
客室乗務員(CA)も同じく 松山 → 関空 → 女満別 → 関空 で関空までがオリジナル・パターン。
だが、今日は変則パターンで、キャプテンも CA と同じ関空までのパターン。
朝早く松山を出てみんなで関空にやっと到着。
そしてキャプテンと CA 4名は私を飛行機に残して帰っていった。
とても損をした気分だった。

松山から関空への帰り道。
キャプテンが上空でお手洗いに立った。
しばらくして戻ると、キャプテンは紙コップを持っていた。 飲み物を持って帰ってきたのだ。
私も丁度喉が渇いていた。 あっ、いいなぁー・・・・・
と、CA も一緒にコックピットに入って来た。
おっ、おまえも飲むか?」(キャプテン) 「あっ、はい。 お願いします。」
CA にお願いするとすぐに飲み物を取りに出て行った。
すぐに戻り紙コップを手渡された。
「どうもありがとうございます。」
見るとそれはホット・コーヒーだった。
キャプテンはその前ウーロン茶を飲んでいたので、今回持って帰ってきたのもウーロン茶だと、
私は勝手に思っていたのだ。
しまったー。 私はお子ちゃまなので、午後にコーヒーを飲むと夜に眠れなくなることがある。
明日は 5時起きだから 9時には寝たいんだよなぁ・・・・。
また、上空はとても乾燥しており、喉も渇き水分を補給したいときに
利尿作用のあるコーヒーを飲んで体内の水分がさらに出て行ってしまっては困る。
どうしようか迷ったのだが、健康には代えられない。
ゴメンナサイ、という気持ちを込めて CA に謝った。
「スミマセン。てっきりキャプテンが持ってきたのはウーロン茶だと思ってました。
 大変申し訳ないのですがウーロン茶を代わりに持ってきていただけますか?」
CA は大変失礼しました、と平謝りでウーロン茶を取りに出て行った。
やばいなー、彼女は何も悪くないのに。
私が勘違いしてしまい、しかも我慢してそのまま飲んでしまえば良いのに、
わがまま言ったばっかりに、彼女に謝らせてしまった。
きっと気分を悪くしただろうな・・・・。


2001.07.04

大阪の淀屋橋の、とある勉強会に呼ばれて行った。
メンツはとても個性的な方が多く、色々と勉強になった。
専門分野で活躍していらっしゃる一人一人の今後の目標を聞く機会もあり、刺激的な夜だった。

何年ぶりだろうか。 居酒屋で夜遅くまで盛り上がり、店を出たのは12時前。
1か月に1回くらいは梅田に行くこともあるが、夜の苦手な私は6時頃には帰って来てしまうのだ。
もちろん終電の時間など、知るはずもない。

淀屋橋 → 梅田 はなんとか終電に間に合った。
梅田の駅に着くと、走っている人がいる。
これはひょっとして阪急電車、まだあるのかも?
私も暑い中、彼らについて走った。
ラッキー! あと1分で終電が出るところだった!
こうして無事、塚口まで帰ることができた。
産まれて初めて1日に2本の終電に乗ることができ、ご満悦。
そういえば、学生時代も終電って乗ったことなかったなぁ・・・・・・

塚口からの電車はなかった。
今日は有酸素運動をしてないし、一発、走って帰ろうか?とも思ったが、
夜12時半にジーパンで走ってると変質者と思われかねないかもしれないので、歩いて帰ることにした。

途中、終電の終わった踏み切りの上に人影を発見。
一人でかがみこんで何をしているんだろう? 工事? イヤ、一人ではしないよな。
近づくにつれて、それが女性であることが分かり・・・・・
なんと、犬をブラッシングしてあげていたのだった。
犬はなんとも気持ち良さそうだったが、
何故12時半を過ぎてから、しかも踏み切りの上でこんなことをしているのだろう?

家までは 30分かかった。
玄関にそっと入るなり、床に置いてあった木の切れ端につまづき、
カラーンと大きな音を出して寝ていた妻を起こしてしまった。 ゴメンナサイ。
結婚して2年以上経つが、私が終電で帰宅し妻が先に寝ていた、とうのは初体験だった。
何かちょっと悪いことをしたような気分で、嬉しかった。


2001.07.05

ゴミとして捨てられていたマウンテン・バイクを、昨日拾ってきた。
我が家の自転車は全て不用品としてゴミに出されていたものだ。

タイヤに空気を入れると、しばらくしてパスーッ、という音と共に後輪の空気が全て抜けた。
これはバルブに違いない。
空気を入れるところの、空気入れがひっかかる金属の太い部分を左に回すとはずれる。
中から金属の棒を引っ張り出すと、そこにゴム(バルブ)がかぶさっているのだが、
これが古くなったり穴が開くと空気が抜けてしまう。
バルブを交換して空気を入れなおすと、OK。

外れていたチェーンを歯車にはめ、ペダルを回すとまた外れた。
ペダルを回転させながら歯車を観察すると、
どうやらペダルについている一番大きな、外側の歯車が曲がっているようだ。
6角レンチと呼ばれる工具(100円ショップで売っているはず)を使って、外側の歯車を外す。
これを平らなコンクリートの上でたたいて、変形した部分を直していく。
完璧に平らにすることはできないが、チェーンが外れず、前輪のギヤが使える程度になれば十分だ。

元通り歯車を取り付け、試乗してみる。
何か、ペダルを踏んだ感じが変だ。
うまく力が伝わっていないようで、こぐとギシギシ音が鳴る。
チェーンを見ると、ギヤ(歯車)との間隔が合っていないように見える。
きっと、前の持ち主がかなり乗りこんだために、チェーンが緩んでしまったのだろう。
(ペダルについている歯車を変形させたぐらいだから、激しい乗り方をしていたはずだ。)

今使っている以前拾ってきたマウンテン・バイクのチェーンを外し(チェーンを外す特別の工具がある)、
拾ってきた方に付け替えてまた試乗。 今度は大丈夫だ。

あとは、チェーンをはずした昔拾ってきた自転車を粗大ゴミの日に出せば良い。
もちろんその前に使えそうなパーツを外しておく。
タイヤの部分は使えるので外してとっておき、本体をディスク・グラインダーで切れば、
短い金属パイプになってしまうので、普通の燃えないゴミの日にも出すことができる。

以前拾ってきた自転車より程度の良い自転車を拾い、壊れている部分を付けかえることで、
除々に新しい自転車に変わっていく。


2001.07.06

今日はロフトの付き合いで、シミュレーターに乗るために日帰りで羽田に行った。
ブリーフィング開始10分前に所定の場所に行くと、
何故かそこには訓練を受けるキャプテンと付き合いの副操縦士がすでに居た。
私も入れて3人? なんで? これってアサイン・ミス??(スケジュール上のミス)
ってことは、どっちか一人が帰れるわけ? 
確率は2分の1! そういえば、私は6月にもロフト付き合いでやっている。
もう一人の福岡から来た副操縦士はロフトの付き合いをしたことがない!
よっしゃー! 益々帰れそうだぞ!

教官が来て、訓練を管理している部署に電話した。
ナヌー! オレに飛べってかぁー!
ジャンケンやっても負けてばかり。 くじ運も悪いし、やっぱり確率2分の1でも勝率はゼロなわけね・・・・。

ふたを開けてみると、ロフト訓練は今までになくとても濃い内容だった。
教官がセッティングしなかった予期せぬ手違いがシミュレーターに発生し、そこから何とか回復したり。
と、やっぱり今日は私が副操縦士役をやらせてもらって、とても良い経験になった!


2001.07.07

高知空港から出発前、コックピットに座り、お客さんが乗ってくるのを待っていた。
土曜日のせいか、空港の屋上には数家族が見送りに来ていた。
そのうち、子供が5人いた家族が何回か、私達に向かって手を振った。
今日のキャプテンは若くて、とても乗りの良いひとだ。
キャプテンと私はもちろん手を振り返した。
みんなとても喜んでくれて、何度も何度も手を振ってきた。

私達は出発前に準備をしなくてはならない。
コックピット内のセットアップが終わり、前方を見ると確実に屋上にいる見送りの家族が目に入る。
お母さんらしきひとが、私と目が合うなり、右手を高くあげ、2回前後に振った。
そのしぐさは見たことがない。 何をしているのだろう?
すると、隣にいた子供達も同じ動作を始めた。
何だろう・・・・・・
よく見ていると、2回前後に腕を振ってから、次に前に手を出したとき、手の形が変わった。
ひょとして、あれはジャンケンか???
母親の口の動きを見ると、「ジャン・ケン・ポン!」と動いているではないか!
よーし、ジャンケンでもなんでもやったろうじゃん!

私がタイミングを見計らって「グー」を出すと、家族は一同大笑い。
私が勝った。 やったねー。
えっ、まだやるの? しょうがないなぁ。 準備は終わったし、付き合っちゃおうか。
「ジャンケン・ポン」
あっ、後だししちゃった。 しかも負けたぞ。 クッソー!
キャプテンも大うけ。
「ア・ホ・だなぁー。 後だしして負けてやんの。」

見ると、隣にいた別の家族のお父さんらしきひとが、私にカメラのレンズを向けている。
あれは絶対一眼レフで、望遠だぞ。 シャッターチャンスを狙っているのか?
きっと写真撮るのがうまいんじゃないか?
こんなことしてるところを撮影されたら、マズイ!
ジャンケンをするのは止めた。

エンジンをかけ、滑走路へ向かった。
さっきの家族が、みんな大きく手を振って私達を見送ってくれた。

飛行機が通る道(誘導路)には、真中に黄色い線が引いてある。
地上を走るときはその線の上に前輪が乗るように運転するのだが、黄色い線が途中で途切れている。
あれ? おかしいな?
かなり遠くに見えたその切れ目に近づくと、
それが逆光で陰り、誘導路と同じ灰色に見えた白鷺であることが分かった。
丁度、黄色い線の真上に立っているのだ。
私達の飛行機が近づいてもビクともしない。
ジェット・エンジンの音はかなりうるさいはずなのだが、聞こえないのだろうか?
離陸時に点灯する、前輪についている離陸灯をつけたり消したりしながらパッシングしてみたが、効果ナッシング。
お願いだー、そこをどいてくれー!
ならば次の作戦。 これでどーだー!
インターフォンが使えないときに、コックピットから整備さんを呼び出すときに使うボタンを押してみた。
「ビーッ!、ビーッ!」
効果なし。
時速30km程度で接近したが、全く動く気配なし。
それでもすぐ近くまで寄ると、とてもゆっくり羽ばたきながら、舞い上がった。
吸い込んじゃうぞー!
キャプテンは白鷺の飛んでいく方向を心配そうに見ていた。
アイドル(緩速)とはいえ、エンジンの近くを通ると本当に吸い込んでしまう恐れがあるからだ。
何事もなく白鷺は飛行機を横切って飛んでいった。 ホッと一安心。

今日は高知ステイ。
ホテルへ向かう途中、驚くものを見た。
3階建ての箱型のビルもしくは家のような建物が、なんと、傾いて建っている!
恐らく垂直に対して5°近く傾いているのではないか?!
隣接するビルに寄りかかるように建っており、とても危険に見えた。
それでもその建物には明かりが灯っていたのだ!
誰かが居る。 住んでいるのか?
キャプテンに教えてもらったのだが、キャプテンが別のコーパイさんにだいぶ前に聞き、
そのコーパイさんは別のキャプテンにさらに随分前に聞いたのだそうだ。
と、いうことは、その建物はかなり長い間、傾いたまま放置されていることになる。
あれは、いったい何なのか?

タクシーの運転手さんが知っていた。
どうやら傾いた状態で、今から30年も前に建てられたらしいのだ。


2001.07.08

朝、高知で川沿いの散歩に行った。
8時だというのに既に日差しが強く、かなり暑い。
川にかかっている大きな橋の下に、日陰が出来ている。
そこに、私の大好きな柴犬が腹ばいになり、キリッとした凛々しい表情でこちらを見ながら横たわっていた。
そばには太めの女性が立って、何やら犬に話し掛けている。
どうやら犬が日陰で涼しいコンクリートに腹ばいになったまま、動かなくなってしまったようだった。
飼主が首輪についているひもを引っ張ろうと、柴犬は立ち上がろうとしない。
完無視だ。

歩きながら近づいていくと、その女性が外国人であることが分かった。
欧米に海外旅行に行くとよく見かける。
ひざから下は、妙に細いのに、その上がビール樽のようなのだ。
聞いたことのない言語で太っ腹の中年外国人女性が、日本の柴犬に話し掛けている姿は滑稽だった。
そりゃ、言語通じてないんだよ、きっと。

私は遠ざかりながら、何度も何度も振り返ったが、柴犬は横たわったままだった。


2001.07.12

東京の早パタ。
朝一の中標津に乗務するため、起床は6:00。
昨日はなかなか寝つかれず、寝てからもなんとなくウトウトしていたような気がする。
そして蚊に体中刺され、痒くて飛び起きた。
蚊取り線香をつけて再び寝た。

次は悪夢で飛び起きた。
風景、場面は全く覚えていないのだが、とにかく歯が抜ける夢だった。
気がつくと10本もの歯のような感触のものが口の中でガラガラ動いていた。
怖くて恐る恐る吐きだしたら、本当に歯だった!
舌で歯茎をなでると、まだ何本かは残っていた。
どうしよう・・・・
すると、残りの全部の歯が一気に抜けて床に転げ落ちてしまった。
私は床に這いつくばり、落ちた歯を探した。

そこで目が覚めた。
夢はあまりにもリアルで、私は思わず右手の指4本(親指、人差し指、中指、薬指)を口の中に突っ込み、
そこに歯があることを確認した。
あった・・・・・・  良かった・・・・・・・

最後は目覚ましの音で起きた。 グッスリ寝た気がしなかった。
実際、睡眠時間は足りていなかったはずなのに眠気は全くなく、仕事に疲れた夕方、みたいな体調だった。

私はよく歯が全部抜ける夢を見る。
夢は何かを意味することがある、と聞くが、これには何か意味があるのだろうか?


仕事から戻ってからジュエリー制作の師匠の仕事場に遊びに行った。
そこで今まで知らなかった事実に大驚き!
なんと、ジュエリーのブランド 「4℃」 を立ち上げたのが私の師匠だった。
商品となるジュエリーの原型を作り、全ての商品を作っていたのだ、と言う。
仕事場に 「4℃」 の刻印まであったのには、本当に驚いた。


2001.07.14

伊丹から鹿児島まで全日空便で移動。
今日は久しぶりに南へ行った。 (鹿児島 → 那覇 → 大分 → 関空)

鹿児島 − 那覇 間は積乱雲があちこちにあった。
だが、1つ1つの雲は大きくないために、旋回して避けながら飛ぶことができた。

那覇を離陸して上昇中、真っ青な海に、細長く真っ白い積乱雲の林が反射して映っていた。
エメラルド・グリーンのリーフが取り囲む小さな島々が、白い綿菓子のような雲の隙間から、チラッ、チラッ、と見える。
とても美しい光景だ。


2001.07.17

朝一の関空発松山行き。
西から前線が近づいており、九州から天気は下り坂。
松山の天候が悪化する前に松山に着陸し、折り返し千歳へ向けて離陸出来れば幸いだ。

関空を離陸し、西へ機首を向けるとすぐに、大きな積乱雲が視野に入った。
私達が行く方向より、若干右側(北)に位置しているように見えた。
飛行経路上になければなんの問題もない。

近づくに従って、その積乱雲は広島の近くにあり、私達の飛行経路の北、10km程度の所にあることが分かった。
これだけ離れていれば揺れないだろう・・・・・ あれ? 以外と揺れるな。
南へ15kmほど積乱雲を迂回して飛行することを管制官に要求した。
同時に、西から接近しつつある前線に伴った雲を下に避けるために、通常よりも早めに降下することにした。
運良く雲にはかからず、全く揺れずに松山へ進入することが出来た。

松山を離陸して東へ機首を向けると、既にあちこちに発達しかけた夏の積乱雲の子供が所々に散在していた。
千歳までの私達の飛行経路は、幸いそれらの雲の間をすり抜けるように北東へ伸びていた。

今日の千歳空港までの巡航高度は 37,000ft。
途中、中部地方の上空では薄い雲の中に入りコトコト揺れが続いたが、
北陸にさしかかると雲もとれ、気流良好となった。

松山を出発前、秋田から北海道にかけては前線に伴った厚い雲に覆われ、
所々大きく揺れるのではないかと心配していたが、前線は東進しており以外と気流は良好だった。

私達の前にはかなり離れた位置に羽田から来た全日空59便が居るだけ。
滑走路へ向けてまっすぐ最短距離で飛行し、なおかつ減速させられなかったので定刻より10分も早く到着した。

千歳から中標津へは通常通り 17,000ft で向かった。
朝方、秋田から千歳にあった前線は東進しており、丁度私達の飛行経路上に移動していた。
上下にも左右にも避けることが出来ず、雲の中に突っ込んで行く羽目になり、
中標津へ着陸するまでの間、ずっとシートベルト着用のサインを消灯することが出来なかった。

中標津から千歳へは、通常 18,000ft を飛ぶのだが 12,000ft に変更。
中標津を離陸し、12,000ft に到達すると、そこは風の変わり目であり、かつベース(雲の底の部分)付近のため、
ガタガタ激しく揺れが続いたが、少し西へ進めば気流が良くなることは分かっていたので、
お客さんには我慢してもらうことにし、キャプテンはキャビン・アナウンスを入れた。
しばらくすると揺れは予想通り収まり、ベルトサイン OFF!
千歳の天候も完全に回復してきたし、もう揺れないだろう・・・・と思いきや、
雲もないのに揺れが始まった。
12,000ft から 11,000ft まで降下し、かろうじてベルトサインを点灯させずに我慢したが、
OFFにしてから6分30秒後、ついに我慢できなくなってシートベルトをつけることにした。

中標津から千歳へのアプローチ時もめずらしく混雑していなかったため、
再び最短コースで進入することが出来、定刻よりも早着した。
巡航が揺れると、とても神経を使うのだが、着陸の順番待ちをせず、
スッと降りれるととても気分が良く、疲れを吹き飛ばしてくれる。
今日は爽快な一日だった。


2001.07.18

女満別発関空行きの最終便。
佐渡の辺りで日が沈んだ。
辺り一面はどす黒い雲に覆われていたが、そのバックには夕焼けがあり、
黒い雲の少し上には夕焼けの光りが当たっているのか、真っ白い綿菓子のようなちぎれ雲が浮いている。
この赤、白、黒のコントラストがとてもきれいだった。

宮津の北には発達した大きな積乱雲があって、遠くからでも光っているのが見えた。
飛行経路の若干左側にあっが、避けなければいけない雲だ。
北に15km程迂回し、26,000ft から 22,000ft まで降下した。
闇の中で蛍光灯のように雲全体が時々光る。
近づくと恐ろしく揺れるが、離れていれば美しい眺めだ。
と、稲妻が走った! オーッ!
自分の目と同じ高さに稲妻が見えるのは、なんとも不思議な光景だった。


2001.07.19

セミの季節だ!
昨年は8月頃、丁度このダイアリーを始める前に、足をくじいて3週間会社を休んだ。
この休みの間にダイアリーを書くことを思いついたのだ。
当時、会社では乗員が足りず、私が足を怪我して欠員となったとき、
スケジュールを作るひとに多大な迷惑をかけてしまった。
もちろん本当の理由を言うことが出来ず、走っていて足をくじいた、とだけ言っておいた。
実際には、走っている際中に、木に止まっているセミを手掴みで取りたくなってしまい、
ジャンプして、着地した場所に段差があり、はく離骨折になったのだった。
そのセミはみごとにゲットしたが、病院に通う羽目になり、高くついてしまった。
もうあの事件は時効だろう・・・・ということでここで暴露する。

この季節になると、あちこちにセミの抜け殻を見かける。
公園の大木の根元には、直径1.5cm程度の穴がいくつも開いているが、
セミの幼虫はその穴を通って(掘って)地面から地上に這いあがり、木に登り、脱皮して成虫になるのだろう。
確か脱皮をするのは夜が明けるころだったと思う。

最近、セミの幼虫達が脱皮していない状態でコンクリートの地面にひっくり返っているのを見つけることがある。
本来、地中から地面に出てくればすぐに木に登って、その夜のうちに脱皮するはずなのに、何故?

都会の樹木は、根元の部分が土ではなく、コンクリートやレンガで覆われてしまっているものが多い。
もしかすると、セミの幼虫は地中から地上に上がってくる際、地表面がコンクリートのような固いもので
覆われているために地上に出ることができず、
柔らかい土の部分を探しているうちに力尽きてしまうのではないだろうか?
だから夜明け前に木に登れず、脱皮出来ないのではないだろうか?

炎天下、熱いコンクリートの上でもがいている瀕死のセミの幼虫を捕まえて、家に持って帰った。
日の当たらない所にある庭の木に、セミの幼虫をくっつけた。
もがいてはずり落ち、また捕まえて木に足を引っ掛けるのを手伝いながら、ようやくなんとかしがみついてくれた。
明日の朝まで持ちこたえることができれば、脱皮して成虫になれるかもしれない・・・・

次の朝、起きてすぐにセミの幼虫を見に行った。 背中が割れている!
近づいてよく見ると、背中が割れただけで中から出ることができず、脱皮の途中で死んでいた。
もう少しだったのに。

セミは地中に7年もいて、やっと地上に上がってきたのに、一度も鳴かず、飛ぶこともなく、死んでしまった。
これも私達人間が環境破壊をしてしまったせいなのだろうか?
これから年が経つ毎に、脱皮できずに地に落ちるセミの幼虫の数が増えないことを、私は心から望む。


2001.07.21

大阪−高知を2往復のパターン。
1回目に高知に到着したときのスポット(駐機所)は4番だった。
2回目はスポット3番。

高知空港の3番スポットに到着して、ディスパッチへ向かった。
飛行機へ戻るとき、私は考え事をしていた。
足元ばかりを見ながら階段を上り、ドアを開け、
飛行機の入り口を見ると、そこには見慣れない CA がいた。
制服が青いぞ??
しまった! ここは4番スポットだ。 全日空の B767 じゃないか!
整備さんと目が合ってしまった。
いかん、笑われている。
慌てて階段を降りていくと、飛行機の周りで作業していた人達がこっちを向き、笑っている。
はにかみながら頭をかきつつ会釈をした。

3番スポットに駐機している A320 まで歩いて行った。
コックピット内で点検作業をしていた整備さんに私は言った。
「間違って隣の飛行機に乗っちゃいましたよ。」
隣の飛行機は一回り大きいですねェ。

以前、あるキャプテンは飛行機の外部点検が終わってから、
誤って隣に泊まっている全日空の B767 についている階段を上がり、
機内に入ってすぐのところにある雑誌を置く棚の形がいつもと違うことに気づきながらも乗り込んでしまった。
青い制服の CA に、「キャプテン、代わられたのですか?」 と聞かれて、
初めて間違ってしまったことに気づいたひとがいた。
それは30代前半のキャプテンで、どうすればそういうことが可能なのか?
私にとってアンビリーバボーだったが、不覚にも同じようなことをしてしまった・・・・・
ショックである。


2001.07.22

関空発高知行き。
定刻に出発するために、普段より若干早めにお客さんを機内に案内した。
にもかかわらず、なかなか全員乗り終わらない。
GH(地上係員の女の子)が無線を片手にターミナル内を走り回っているのがコックピットから見えた。
もう! 誰かどこかに行ってしまったな!

しばらくして CA(客室乗務員)にインターフォンで呼ばれた。
団体のお客様、1名、見当たらないようです。
 X線検査場を全員が通過したことは添乗員の方も確認されていたようで、そのあと居なくなったようです。

隣の飛行機に乗ってしまったのかな? それとも買い物かな?

しばらくすると、1名のお客さんが走って乗ってきた。
やっと来たか・・・・ どこに行ってたんだろう?

再びインターフォンが鳴り、CA が呼び出してきた。
先ほどのお客様、国際線からの乗り継ぎだったようで、時計を直すのを忘れていて時間を間違えていたようです。
そういうことね♪ 誰でもやってしまいそうなこと。 気をつけないと!


2001.07.23

妻と夕方4時半頃、散歩に行った。

公園の木を見ると、視線の高さに沢山のセミが静かにとまっていた。 太い幹に5匹ほどいる。
去年はセミを手掴みで取ろうとしてジャンプして、はく離骨折してしまった。
今度こそ・・・・・ 抜き足、差し足、忍び足。
20cm程度の間隔でとまっている 2匹のセミに照準を合わせて、両手をそっと近づけ、そして一気に・・・・ ゲット!
しかも 2匹とも。 手の中でジージー鳴いている。 今ごろ鳴いても遅いんだもーん。
それにしても随分と簡単に捕まったな?

同じ幹の反対側にとまっていたセミは、
捕まって鳴き叫ぶセミの音や気配を感じていなかったのか、逃げていなかった。
すぐに 2匹を手放すと、オシッコをちびりながら逃げて行った。 よし!
再び忍び足で幹の反対側に回り、セミを 2匹、両手でまたゲット!
彼らも逃がし、同じ木にとまる最後の1匹に何気なく手を伸ばした。 でも捕まるまでは逃げないのだ。
これで 5匹素手で捕まえてしまった。

こうなってくると面白い。
妻は私にあきれて、近くの家の黒い犬の頭をなで、いい子、いい子している。
隣の木に行き、再び同じことをしたが、ここでもなんなくセミは捕まった。
その隣の木も、またその隣の木でも。
小さな公園に植えてある 5本の木で、合計15匹は手掴みでセミを捕まえることが出来てしまった。
寝てたのかな? イヤ、でもまだ明るいし、遠くではセミの鳴き声も聞こえる。

しばらくして別の公園の前に差し掛かった。
「もう1回、セミ捕まえようか?」 「今度は私がやる。
でも、この公園では、どんなに静かに歩いても、木に近づく大分前にセミはそれに気がつき、逃げて行ってしまった。
普通は逃げるよな? セミって、子供の頃、捕まえようとして何度も逃げられたよな?
なんで、前の公園ではあんなに簡単に捕まったんだろう?
とても不思議だ。


2001.07.24

久しぶりに妻と梅田へ行った。
おしゃべりな私は電車を降りてからも、上半身を傾けて、ずーっと妻に話しかけていた。
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ・・・・・
何の音だ? うるさいなァ。 あっ、ヤベッ! 改札機に切符を通さないで、妻にぴったりくっついて出てしまった。
駅員さんも、係りのひとも近くには誰もいない。
ポケットから切符を取り出し、駅員さんがいる遠くの部屋まで切符を渡しに行った。
「すみません。 切符通さずに改札出ちゃいました。」
あっそ、ごくろんさん。
ありゃりゃ、何か冷たいな? わざわざ渡しに来るまでもなかったか? どうせ改札通過してしまったし・・・・・


2001.07.28

昨日は 大阪−高知 を 2往復後、松山へ JAC(日本エア・コミューター)の YS-11 で移動した。
客室乗務員(CA)に私達のスケジュールを聞かれ、JAC で移動することを話すと
機内サービスでおいしいアメを配っていると教えてくれた。
しかも一人ではなく、みんながその特定のアメが好きなようだった。
オセロのコマのように表と裏があり、片面はアメで、反対側がラムネのようなもので、貼りつけてあるのだと言う。

JAC の YS-11 の CA が機内サービスでアメを配っていたときに、
うちの CA が言っていたおいしいアメはどれか聞いてみた。
あー、これですね♪」 と、嬉しそうに教えてくれた。
竹のカゴには何種類かのアメが入っていたが、そのアメだけ選んで 5個私に手渡してくれた!
私は甘いもの、特にキャンディーやアメの類は食べないので、明日の CA にあげよう!と思いポケットにしまった。

しばらくしてその親切な CA が私のところに戻ってきた。
これ、クルーのみなさんで召し上がってください♪
なんと、そのアメを一袋いっぱいに詰めて、さらに乾燥剤と絵葉書を入れてくれたのだ!
「ウワァー! どうもありがとうございます!」
松山に到着して飛行機を降りるとき、その CA にお礼をもう一度言っておいた。

今日は昨日とは違う CA だったが、JAC のアメのことを聞いてみた。
知らない、と言われてしまい少し落ち込んだが、せっかくだからみんなに1つずつアメをあげた。
3便目になって、CA が私に歩み寄ってきた。 「あのー、お願いがあるんですけど・・・・・
(なに、なに、一緒に写真でも撮りたいって? ん、なわけないか?)
「何ですか?」  「さっきのアメ、もっともらえますか?」  「もちろんですよ!」

結局、一袋全部あげてしまった。
きっと CA が集まる事務所に置いといてくれるだろう。
また JAC の YS-11 に乗る機会があったら、好意に甘えてアメをもらっちゃおうかな・・・・


2001.07.30

熊本から関空への帰り、関空周辺は発達した雲に覆われていた。
到着機は雲を避け逃げまわっていたが、私達の通った経路上には幸いほとんど雲はなく、
それほど大きく回避する必要がなかった。
薄い雲の下を通るとザーッと音がした。 コックピットの窓に当たる雨の音だ。
ふと下を見ると、細長く大きな虹が足元に広がっていた。
発達した雲は嫌いだが、それがもたらすきれいな景色は大歓迎だ。


2001.07.31

頼まれていたプラチナのネックレスを、今日、手渡しに行くことになり、朝から仕上げをした。
なかなかいい感じに出来あがり大満足だったが、
石を留めるツメの倒しが甘かったので、そこだけやり直すことにした。
ペンダント・ヘッドを固定し、ツメを倒す工具を当て、ゆっくり石の方に力を加えていった。
ガリッ! ギャー! 石を割ってしもーた! どーすんだよ!
石は人工ダイヤなので安いし新品に交換すれば良いが、ペンダント・ヘッドが使えるかどうか・・・・

石を留めるツメは目立たないように出きるだけ短く切っていた。
潰すようにツメを倒すため、石を留める前より長さは短くなっており、
倒したツメを起こして、そこに新しい石を置き、もう一度留め直すことが出きるか?
石のエッジにツメが引っかからなくてはならないのだ。

試してみたが、無理だった。
今日、届けると言ってしまったし・・・・・・ 仕方ない、作りなおすか。

朝にはほぼ仕上げ終わっていたが、壊してしまったために作りなおし、結局午後1時過ぎまでかかってしまった。
後は石を留めれば完成だ。 今度は気をつけないと。
4本のツメの長さをヤスリをかけて少しずつ調整。 OK! 出来た! あっ!
小さなペンダント・ヘッドが指先からポロッと転げ落ちてしまった。
エアコンのない暑い部屋の中、床に這いつくばって探したが、なかなか見つからない。

作業中、よく直径 1mm 程度のダイヤや、貴金属で作った小さなパーツを床に落としてしまう。
どんなに探しても見付からないことが多い。
そんなときは、時間がもったいないので、パーツを作りなおしたり、予備の石を使う。
紛失後数ヶ月して、ふとしたことでありえない場所から出てくることがある。

だが、ペンダント・ヘッドは直径 5mm もあり、見つからないはずがない。
そこらじゅうに散らかっている工具や紙ヤスリ、ボロきれ、などをどかして探すこと15分。
ない! あー、クッソー! どうすりゃいいんだよ。 もう一度作り直せってかぁー!
妻が探すのを手伝ってくれた・・・・ 数十秒後、「ここにあるやん。 どこ探しとったん?
サンキュー!!!! 助かったぜ。

ネックレスを渡すために梅田へ行った。
町の電光掲示板は 「35℃」 と表示していた。 あぢ〜〜。

一度行ったことのある場所だ。 えーと、○○信託銀行の前のビルだよな。
おっかしーなー。 この交差点を過ぎてすぐだったように思うんだけど。
もうちょっと向こうか。 ないなぁ。 もっと向こうか? ないなぁ。 もっともっと向こうか?
あった、あった、○○信託銀行。 しっかし遠いな?
こんなに歩いた記憶ないぞ。 さて△△ビルは、と・・・・ ないじゃん! 消えた??

○○信託銀行の向いの通りを行ったり来たり、一つ一つのビルを探してみたが、ない!
なんでだ? 公衆電話もない!(私は携帯電話を所有していない)
あぢ〜。 どこだよ。 なんでないわけ? よしローソンで聞いてみよう!
「すみません、○○信託銀行の前の△△ビル、ってどこだか分かりますか?」
○○信託銀行って、この通り沿いに2ヶ所あるんだよ。 きっともう一つのビルじゃないかい?
「ありがとう!」
やっぱりそうだ。 こんなに歩いた記憶ないもん。
でも、○○信託銀行の看板をずっと探して歩いたけど、なかったよな?

とりあえず、来た道を逆戻り。 テク、テク、テク。 あぢ〜。
ないぞ、ないぞ、ないぞ! あれ、この交差点より向こうのはずないよな? イヤ、もっと向こうだったか?
テク、テク、テク。 来るとき出てきた地下鉄の入り口まで来てしまったじゃないか?
○○信託銀行、どこに行ってしまったの????? お願い、出てきて。

見覚えのある交差点をはさみ、50m程度を行ったり来たりしたが、○○信託銀行はどこにもないのだー!
公衆電話もない。
仕方なく喫茶店に入り、ウエイトレスに聞いた。
「この辺に○○信託銀行があるって聞いたんですけど。
 もっとずっと向こうにある○○信託銀行ではなく、この辺にあるはずなんですが、ご存知ないですか?」
あー、○○信託銀行さん、ちょっと前まではこの通り沿いに2店舗あったんだけど、
 こっちの店舗閉鎖して向こうの店舗に移ったらしいよ。
」 (げー、マジー! 3週間前はあったのに?!)
どこを探してるんだい?」 「△△ビルです。」 「あー、すぐ近くだよ。
おばさんは暑い中、わざわざ通りに出て、私を△△ビルまで連れて行ってくれた。
「どうもありがとう!!」
炎天下、歩くこと20分。 もう、汗グッショリ。

ネックレスを手渡した。 とても喜んでくれた。 こんなに嬉しそうな顔を見れるなんて♪
どんなに大変な一日も、私の作ったものを見た瞬間に相手が見せる笑顔が疲れを吹き飛ばしてくれる。
作って良かった! 素敵な笑顔をありがとう!