2001.12.01

サングラスのケースがやっと完成しました♪
行程もアップしましたので、興味のある方、見てみて下さい!

作業行程

 



2001.12.04   家に帰ってくるな、ってか?

とても優しい感じのキャプテンがいる。
私も大好きなキャプテンだ。
誕生日は必ず有休をとるらしく、1年のうちでこの日だけは朝から酒を飲むことを奥様に許されているのだそうだ。
結婚記念日には家族を旅行に連れて行くことに決めているお父さん。
お子さんの誕生日には、色紙を切って家族全員で輪っかのチェーンを作り、子供の部屋に飾るのだそうだ。
手作りの誕生日プレゼントも用意しているらしい。
なんとも暖かいファミリーではないか。

先日、そのキャプテンと一緒のフライトだった。
朝は5時起きだが、午前中に関空で仕事の終わるラッキーなパターンだ。
「今日はお昼までには家に帰れそうですね♪」、と私が言うと、いつも笑顔のキャプテンは暗〜い表情になった。
イヤ〜、困ったなぁ・・・・・・。
「え、どうしたんですか?」
いやね、今日は帰ってくるなって言われてるんだよ。
「どうしてですか?!」
家で主婦の集まりがあるらしく、うちのがさ、それが終わるまで帰ってくるなって言うんだよ。
「え゙え゙っ〜!? なんでですか??」
『明日はお昼には帰れるよ♪』って言ったらさ、『そんなぁ、お昼に帰ってきちゃうの?』って言われてショックだったなぁ。
 『お昼過ぎまで例の集まりがあるから、14:00以降に帰ってきてくださいね。』 だってさ。

「そんな事、言われちゃったんですかぁ??!!」
オレ、14:00まで何してようかなぁ。 難波経由で帰っても、カバンが2つもあったらお店で時間潰すのもつらいし。
 伊丹空港にバスで戻って、たまってる仕事でもやってようかなぁ・・・・・。

「そんなの無視して家に帰ったらいいじゃないですか?
 一緒に奥さん連中の集まりに混ぜてもらって、楽しんだらいいじゃないですか? 僕だったら絶対そうしますよ。」
いやー、君のその性格ならやりかねないけど、オレには出来ないなぁ・・・・・。
 あ〜あ、どうしようかなぁ・・・・・・。


家庭がうまくいっていない、または「旦那は元気で留守がいい♪」的なファミリーならまだしも、
こんなに優しくて家庭円満な家族なのに、なんでそんなに気を遣うのだろうか?



2001.12.07

今年初めて、雪の積もった空港、千歳へ行った。
北海道の上空 10,000ft よりやや低い高度は雪雲に覆われていた。
小さな積雲型の雲の集まりだが、小さいからといってあなどれない。
冬の雪雲は小さくても入ると大きく揺れることが多いのだ。

発達した雲は揺れることが多い。
機上レーダーをつけて赤く映し出される揺れる場所を探す。
だが、雪雲は気温が低いため、雲を構成するのは水蒸気ではなく氷の結晶だ。
機上レーダーは水蒸気しか捕捉することができない。
つまり雪雲はレーダーに映らないので、揺れる場所を探すことができないのだ。

冷たい場所で吐く息は白い。
これが雲が出来る原理だ。
では、雲の構成物質が小さな氷の結晶の場合、それはどういう状況なのだろうか?
水蒸気だろうと氷の結晶だろうと、どちらの雲も外見は同じに見える。
無数の細かい氷が空中に浮いて雲を形成している状態を理解できるような、
身近な自然現象にはどういうものがあるのだろうか?

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飛行機が到着すると、私はいったん待合ロビーに出て歩き回り、体を伸ばして、再び飛行機へ戻る。
足取り軽くスタスタ PBB(Passenger Boarding Bridge)を通り、ほとんど段差のない飛行機のドアを跨ごうとした。
ガタッ、という音とともに、革靴のかかとがドアに引っかかってコケてしまった。
おっとっと。
目を上げると、2人の客室乗務員(CA)とバッチリ目が合ってしまった。
「あっ、えっ? 見ました?」
もうバッチリ見ましたよぉ〜♪」(CA)
「いやぁ〜、恥ずかしいなぁ。 なんか最近よくコケるんですよねぇ。 しかも平らな場所で。」
へぇ〜、いつも摺り足なんですか?」(CA)
はっ?????
ん〜なわけないじゃないですかぁ。
もうイヤだなぁ。
苦笑い、苦笑い。
なんか、なおさん、変。」(CA 1)
しかも髪サラサラだしぃ〜。」(CA 2)
変?で髪がサラサラ??
それって、どういう関連があるん??
その場を適当にごまかしてコックピットに逃げ込んだ。



2001.12.08

フライトが終わってから、キャプテンと話をしていた。

中1と高1のお子さんがいるそのキャプテンは、家では大きな音を出して映画を見ることができないのだそうだ。
勉強をしているからだという。
期末試験や中間試験は大変だ。

「僕はまた子供に戻りたいとは思いませんねぇ。 もう勉強はしたくないですよ。」
それもそうだね。 だけど、子供はいいよ。 勉強すれば将来は何にでもなれるんだもん。 夢があるじゃない?
 だから、今のうちに色々なことを勉強する機会を作ってあげるようにしてるんだ。
」(キャプテン)

それもそうだ。
私達パイロットは定年退職するまで試験が年に数回あり、その度に勉強しなくてはならないし、出来が悪ければ怒られる。
合格、不合格もある。
一生、学生をしているようなものだ。
でも、いくら勉強をしても夢が広がるわけでもなく、ずっとパイロットを続けるだけ。
そこには何の可能性もないのだ。

子供が将来沢山の選択肢を持てるように、出来る限り色々なことを勉強させてあげる。
素敵なお父さんだ。

人生長いようで短い。
その途中には、無限の選択肢がある。
私達一人一人、岐路に立つたびに選択をせまられる。
時にはどの道に進むか悩むこともあるが、全く躊躇せずに一つを選ぶことができる時もある。
当人にとっては当然の選択なのだが、世の中の全て人が同じ道を進むことはない。
一人一人が当たり前のように選ぶ道の組み合わせは無限にある。
みんなが違う人生を歩むのはそのせいだ。
自分にとっては当たり前のことが、他人にとってはそうではない。
こんなこと、当たり前の事なのだが、やはり不思議で仕方がない。
せっかくみんなが違う価値観を持っているのだから、
もっともっと他人と違う人間になれるよう、ひとと違うことをしていきたい。



2001.12.12

今日の勤務は401便から始まる、大阪−高知 2往復のはずだった。

朝5時起きなので、昨晩は20:30にはベッドに入っていた。
そこへ会社から電話があった。

先日、航空身体検査を受けたのだが、レントゲン写真に影があるので再検査しなくてはならず、
401便はスタンバイに飛んでもらって、私は関空の対岸のリンクウ・タウンにあるクリニックへ行くことになった。
11:00に予約を入れておいてくれていた。
電話をくれた会社の人も含めて、私を知る人は、風邪をひかない健康優良児の私が、
まさか身体検査に引っ掛かるとは思わなかったようで、驚くとともに、心配してくれた。
電話を切り、事情を妻に説明すると、妻まで心配してくれた。
う〜ん、愛されているのねぇ〜。
イヤ、待てよ。
稼ぎが無くなるのを心配してるだけか♪
どうやら全然心配していなかったのは、私だけだったようだ。
11:00にリンクウ・タウンに着けばいいのだから、9:00に家を出るとして、7:30に起きれば絶対間に合うよな。
ん、じゃ、やっぱり21:00には寝とくか・・・・・。
いつもとかわらず昨晩もベットに入ってすぐ記憶が無い。
心配なんかするこたぁないぜ♪

予定より早く家を出た。
JR伊丹に到着すると、電車がホームに入ってきた。
よっしゃぁ〜、乗るぞぉ〜! と、走って階段を駆け下り、ドアが閉まる直前に滑り込みセーフ。
(危険ですので、良い子は駆け込み乗車はやめましょう♪)
さてと、審査も近いし、いっちょ勉強でもすっかのぉ・・・・・・。
ノートを読みふけった。
尼崎を出てからしばらくすると、外が暗くなった。
へぇっ??
ゲェ〜、地下に入っちゃったじゃん!
大阪行きじゃなかったの??
クッソォーー!!
次の駅で降りたが、そのまま反対ホームに行くと格好悪い。
今降りた電車に乗っている人、ひょっとするとものすごい美人が見ているかもしれない。
電車に乗り間違えたなんて思われたくないぞ。
とりあえず時刻表を見るふりして・・・・・、階段の先のエレベーターに行くふりして・・・・・、
ちょっと物思いにふけるふりして・・・・・。
よしっ! 行ったぞ。
フゥーー。

次に来た反対方面行きの電車に乗って尼崎へ行き、大阪から関空へ向かう電車に乗った。
クリニックへは10:45に到着した。

11:00きっかりに呼び出され、X−線室の隣の部屋にとおされた。
そこにはベッドと大きな「わっか」があった。
これが CT スキャンかぁ。
ふ〜ん。
わっかが動くのかなぁ、それともベッドが動くのかなぁ。
あれぇ〜、CT スキャンって、普通、脳の精密検査に使わないか?
なんで CT スキャンなんかするんだ?
ほんとはおつむの調子が悪いと診断されたんだけど、そういうと落ち込むから「胸」ってことにしたのかなぁ?
「あのぉ、今日は肺の検査ですよねぇ? CTって脳の診断に使うんじゃないんですか?」
いえ、頭のてっぺんからつま先まで約1cm間隔で輪切りに映し出すことができるので、
 色々な部分の検査に使える優れものなんですよ♪

ほう、そうなんか。

ベッドに横になり、腕を頭の上に上げ軽く縛られ、胴と足をさらにベルトで縛られた。
おう、なんかSMみたいだぞ。
じっとしてるのに、なんで縛るんだ?
検査が始まると、巨大な中空ドーナッツ状のわっかの中で何かが回転する音が聞こえた。
そして・・・・・、おお゙〜、ベッドが動いた!
途中、息を2〜3回止めてわっかの中を上下し、5分もすると機械の動きが止まった。
でも医師は隣の部屋から出てこないので、そのまま縛られた格好でベッドにだまって横たわっていた。
数分経って医師が出てきて、診断終了を告げられた。
もう帰っていいですよ♪
時計を見ると、まだ11:10ではないか!
マジー、これだけのために1時間半もかけてリンクウ・タウンまで来たわけ?
診断の結果は、後で会社に連絡します。
しかも、結果も分からないんか・・・・・。
ベッドに拘束されること10分、ウワァンウワァン音をたてるわっかの中を3往復して、私は岐路についた。

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本日の次のイベントはルミナリエ・・・・・。
あぁ〜、気が重い。
もう、どうして女性はあんなものを見て喜ぶわけ?
きっと長いこと待つんだろうなぁ。
でも、もうすぐクリスマスだし、連れていってあげるか。



その前に、ちょっと作業しとこう。
作業部屋へ行き真鍮を削りながら、
何故か妻に何かを作ってあげよう、という気が起きてしまった。
ルミナリエに似合う、美しいもの♪
探してみると、丁度いいサイズの銀があった。
よしっ、今から指輪を作ったるぜ!
時計を見ると15:15。
家を出るのは16:00頃。
1時間で作れるか、勝負!
そして、なんとか出来あがった♪
仕上げは適当だけど、使ってればどうせすぐ傷がつくし、まっ、大目にみても〜らおっと。
やっぱ、手作りはいいね。
 最近、ブランド品とかがオモチャみたいに見えるよ。
」(妻)
嬉しいこと言ってくれるじゃん♪
「じゃぁ、クリスマス・プレゼント、これで勘弁してくれる?」
・・・・・・・・。」(妻)

ルミナリエは18:00頃から始まる、との広告。 この「頃」というのが怪しい。
16:30には三ノ宮に着き、ルミナリエの近くにある大丸(デパート)のトイレへ行った。
冷えるかもしれない。
長時間立つ羽目になりそうなので、最終の用足しだ。
みんな考えることは同じようで、女性お手洗いは大渋滞。
16:55にルミナリエへ続く道路に出たが、既にかなりの人だかり。
通りいっぱいの人ごみの中に立つこと、1時間。
長かった。
18:00が近づくとどこからともなくヘリが飛んできた。
腕時計を見て18:00になったことをチェック。
でもまだライトは点灯しない。
まだかな? まだかな? と、度々時計をチェックするために腕を見る。
すると妻に言われた。
そんなことしてると、ライトが点灯する瞬間見逃すよ。 何の為に1時間も待ったのよ?
危ない、危ない。
そうだ。
ライトがつく瞬間を見る為に、早めに来て待ったのではないか。
でも、時間が気になる
これって、いきなり何の前触れもなく電気がつくのかなぁ?
 ちょっと他の所を見ている隙にライトがついて、その瞬間を見逃したらショックだろうなぁ。

いつまで経ってもライトはつかない。 でも時計を見ることもできない。
出来る限りまばたきしないようにルミナリエのライトがつく場所を凝視し続けた。
すると、音楽が鳴り出した。
なんだ。
やっぱり何らかの前触れがあるわけね。
もっと早く教えてよ、そういうことは。

「きゃぁあああああああ〜〜〜〜〜〜!!!!」

耳をつんざくような周囲の歓声で鼓膜が破れそうになるなか、照明がついた!
あ〜、ビックリした。
長いこと待ったかいがあった。
それはとても美しい光景だった。



その後、「関西ウォーカー」で見つけた韓国料理屋に夕食を食べに行った。
雑誌に紹介されていた「ダッカルビ」なる鍋のようなものをオーダー。
味はいいのだが、その辛いこと!
辛いものが得意な私も、途中からウーロン茶が手放せなくなってしまった。

帰宅すると留守電に肺の検査結果のメッセージがあった。
もちろん、問題なし♪

晩飯はちょっとハードだったが、ルミナリエはきれいだったし、色々なハプニングのあった楽しく忙しい一日だった♪



2001.12.14

今日は休日。
午後、妻と散歩に行った。

グリーンの軽のジープ、最近見かけなくなった旧式ジムニーのエンジンをかけているおじさんがいた。
シートのヘッドレストに迷彩柄の帽子をかぶせて、いかにもアーミー使用っぽい雰囲気のショベルを搭載している。

そこからさらに30分ほどテクテク歩いていくと、駐車してあるグリーンのジムニーを発見!
間違い無くさっきのジムニーだ。
運転席におじさんの姿はなかった。
さっきとは随分離れた場所なのに奇遇だなぁ・・・・・。

いつも通る家の黒いラブラドール。
門の外の道路に寝そべっているところをヨシヨシしてあげている。
今日は、その家の高校生の息子さんがお散歩に連れて歩いているところに出くわした。
ラブラドールは私と分かってか、分からなかったのか、高校生を引きずって私のほうへ来た。
“いつもかわいがってあげてるから、覚えててくれたんだぁ〜♪”
と、思って見ていると、私のジャンバーの袖にバクッと噛みついた!
なんでぇ〜??!!
高校生は驚いた様子だった。
恐らく普段はそういう行動にでないラブラドールなのだろう。
彼はビックリしながら軽く会釈して立ち去った。
私もビックリした。
妻は大笑いしていた。
おっかしいなぁ、嫌われちゃったのかなぁ・・・・?

家に帰る途中、車の通りの多い道を横切ろうと待っていると、またさっきのジムニーを目撃!
おじさんは軽快に私達の前を通過していった。
あのおじさんのアリバイ、私達が完全に証明してあげられるね」(妻)
ったく、なんのアリバイだよ!
また訳の分からんこと言ってるゾ・・・・・ と思いつつ、吹き出してしまった。



2001.12.19

パイロットはワン・フライト、1回の離着陸が終わる毎に
「Flight Logbook(航空機乗組員飛行日誌)」と呼ばれる日誌に記入する。
○時○分に離陸、○時○分に着陸、飛行時間は○時間○分、雲の中を飛んだ時間○分、etc.
着陸後 Spot-in し、エンジンを止め、お客さんが降りている間に記入することが多い。
私はおっちょこちょいなため、急ぐあまり時々書き間違えてしまう。
この日誌は公的な書類のため、修正するには訂正印が必要なのだが、
書き間違えが多いと訂正印だらけで、汚く見えてしまう。
ボールペンで記入するので消しゴムで消すこともできない。
ある人は、書き間違えるとカッターの先端で字を削って消し、ボールペンで書き直す。
日誌の紙は決して厚いものではなく、かなり丁寧に削らないと紙に穴が開いてしまう。
そんな面倒なことをしてまで、できるだけ綺麗に、丁寧に記入することが以外と大事なのだ。
例えば審査のとき、審査官は最初に飛行日誌を確認するのだが、綺麗な Logbook と汚いものでは心証が違う。
やはり好感を持ってフライトを見てもらいたい。

訓練時代、私は飛行日誌をよく書き間違えた。
試験の度に教官に日誌を点検されるのだが、訂正印だらけの私の日誌を見て教官はよくブチ切れたものだ。
オマエ、何、考えてるの? こんなに汚い日誌、見たこと無いぞ。
 これだけ書き間違えるなんて努力してもできないだろ、普通? オマエ、なめてるのか?

ひぇ〜ん、ゴメンナサイ〜イ!!
「失礼しましたぁああ!!」 と頭を机にこするつけるように謝罪した。

あるキャプテン(2001.02.21のキャプテン)はフライトが終わると、飛行日誌に書くべき事項をメモ帳に書いておき、
自宅(ステイ先ではホテル)に戻ってからメモを日誌に清書して書き写すのだ。
訂正印など全くない、とても綺麗な飛行日誌だ。

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佐賀空港から伊丹へ戻り、事務所に帰ってきた。
そこでいつも明るい客室乗務員(CA)が声をかけてきた。

ホモ・ページ見たよぉ♪」(CA)
「ホモってなに。 ホーム・ページのこと?」
うん、ホモ・ページ。 面白かったよ♪」(CA)
「ホモ、ホモって、何で僕がホモだったこと知ってるの? ちなみに今はバイ(=バイセクシャル)だけど。」
エ〜、いつからバイになったんですかぁ〜?」(CA)
なんだよ、オレのこと捨てたのかよ。」(前述の几帳面なキャプテン)

バカじゃないの? ナニ言ってんだよ? という類の返事が返ってくると思っていただけに、私はビックリした。
「ゲェ〜、○○キャプテン、いつからこういう下ネタOKになったんすかぁ?」 と私が言うと
キャプテンはニヤニヤ笑いっているだけ。

さっきの CA が近づいてきて○○キャプテンの飛行日誌を見て言った。
ヘェ〜、○○キャプテンって、字が綺麗ですね。 見かけによらず、意外と繊細なんですねぇ♪」(CA)
キャプテンって、飛行機で書かずに、家に持って帰ってから清書するんですよね。」(あるコーパイ)
家で書いてるって、どうせ誰かの膝の上で書いてるんでしょ〜?」(CA)
「そうなんですよ。 いつも僕の膝の上で書いてるんですよ♪」(私)

伊丹の事務所では、こんな和やかな(?)会話が日常茶飯事なのだ。



2001.12.21

松山 → 関空 の初便(272)。
コックピットで出発前の準備をしていると、カンパニー無線が聞こえてきた。
Runway 14 から離陸したB777のレポートのようで、15cm程の亀裂が入ってどうのこうの、という内容だ。

「亀裂」と聞いて私が最初に想像したのは、コックピットのフロントガラスにヒビが入った状況。
滅多なことではフロントガラスにヒビなど入ることはないし、ましてや割れて飛び散ることなどない。
それでも私の脳はとんでもない映像を作り出す。
何か固いものがフロントガラスにブチ当たり、ガラスが砕け、飛び散り、乗員が一人機外に吸い出され、
もう一方の乗員は片手で操縦桿を持ち(何故かオートパイロットでない)、反対の手で相棒の襟の辺りを掴んでいる。
操縦桿についている無線の送信ボタンを押しながら、「May Day! May Day!(メイデイ!メイデイ!)」と繰り返すのだ。
きっと映画の見過ぎなのだろう・・・・・。

しばらくして私達はカンパニー無線で呼び出され、「亀裂」に関する情報を教えられた。
どうやら Runway 14 の端の方の路面に凹みのような、亀裂のようなものがあったのを、
離陸滑走中にB777の乗員が見つけたようだった。
コックピットの窓は路面からかなり高い所に位置する。
加速しながらの離陸滑走中に「15cm程度の亀裂」が見えるものだろうか?
よく見えたなぁ。」、とキャプテンも驚いた様子。

隣に駐機していたB767の乗員にも同様の内容が伝えられた。
亀裂があるって、今からその部分を修理するのですか?」(B767の乗員)
いえ、そのままだと思います。」(ディスパッチャー)

ふ〜ん・・・・・
ていうことは、きっと大したことないんだろうな?
ちょっと追い風だけど、私達は Runway 32 から離陸する予定だし、離陸重量も軽いし・・・・・。
もしRTO(飛行機に不具合が発生し、離陸を断念して止まること)しても、
離陸重量は 20,000ポンド強の余裕があり、若干の追風でV1でRTOしても
Conf 2/45で最低 1,500feet 余るはずだから、T−2まで行くことはないだろう。
もちろん Runway14 の端まで行かないはずだ。

定刻には Push Back を開始し、エンジンをかけ、Runway 32 から何事もなく松山空港を離陸した。

関空の管制官と交信する頃、いつもなら 関空 → 松山 の初便(271)の無線交信が聞こえてくる。
今日はそれがなかった。
私達が関空へ ILS 06 Approach を開始し、着陸まであと数分という所で、関空のカンパニー無線が聞こえた。
松山の空港の滑走路に亀裂が見つかったため、現在滑走路を閉鎖し、滑走路の使用に問題がないか調査中。
滑走路が再びオープンになるまで、関空からの出発を見合わせてくれ、との内容だった。
へっ?
でも僕達は使っちゃったよん?

もしB777が離陸した直後に滑走路を閉鎖していたら、私達、272便も今まで出発できなかったわけで、
調査に入る前に松山を離陸できて良かったぁ♪

後で調べてみると、関空 → 松山 の初便(271)は25分遅れで出発していたようだった。
きっと271便のクルーは、この25分の遅れを取り戻すために、
今日一日中、到着してから出発までの準備をバタバタ急ぐ羽目になったんだろうなぁ。
お疲れ様でした!



2001.12.22

電話の子機が壊れてしまった。
最初の勤務地、札幌で私にとって初めての一人暮らしが始まった。
留守電がついていない安物の電話を買った。
フライト・スケジュールの変更があったときなど、休日に連絡が取れないから留守電をつけるように言われたが、
お金がもったいないので渋っていた。
それを見かねたあるキャプテンが、新しい電話を買ったため不要になった留守電を私にくれたのだ。
しかも子機つきだった!
コードのついてない電話がとても嬉しかったのを今でもよく覚えている。
その思い出の留守電の子機が壊れたのだ。
もう5年は使っているし、そろそろ代えどきだったのかもしれない。

会社に勤めていると、ほとんどの人が組合に入る。
もちろん私も入っている。
組合の連絡事項を伝えるために誰が誰に電話をかけるか、連絡網が書かれた1枚の紙がある。
以前は組合の支部長が何人かに電話連絡をし、その人達から枝分かれして電話を年功序列で伝えっていった。
ところが除々にファックスが普及し、何度も連絡網が更新され、ついには私以外の全員がファックスを買った。
連絡網は支部長から2つに枝分かれ。
1本はファックス・グループ。
一度に全員にファックスを送る経路。
もう1本は私。
連絡網を見ると、私は支部長の直属の部下のようで、とても格好悪かった。
最近、新しい副操縦士が4名配属になり、私の下についたが、いずれは彼らもファックスを買うに違いない。
そうしたら、また私一人が支部長の直属の部下になってしまう。
支部長に時々、「ファックス、まだないの?」と聞かれ、その度に、「スンマセン、ないんです。」と答えていたのだが、
今回子機がやっと壊れてくれて、新しい電話を買う機会が出来たのだ。
もちろん、ファックス付きの電話を買うつもりだ。

ファックス付き電話は普通の電話機より大きい。
リビングにはそれを置ける場所がない。
以前からパソコン台と電話線のジャックの間に入る、細長い本棚を作って欲しいという妻からの要求があった。
今すぐ必要なわけでもないし作るのが面倒なのでほっておいたが、
その本棚の真中部分にファックスが置ける場所を作れば便利なので、早速ホームセンターへ材料の木を買いに行った。
幸い、2,450mm×286mm、厚さ 38mm の木材(通常価格¥2,780)が¥2,050で、3枚、
丁度私が欲しかっただけあった! これはラッキーだ♪
加工(ワン・カット)は20円。
家でぶ厚い木を同じ長さに切るのは面倒なので、3枚のうちの1枚を5等分してもらった。

天井まである背の高い本棚を作るのだが、木がねじれているため同じ幅の棚の板が入らない。
上と下の2個所の板をネジで止めてから、
2枚まではギュウギュウねじ込んでなんとかはめることができたが、最後の1枚が入らない。
グラインダーで少し削ってなんとかはめこんだ。
以前作った玄関の棚を作ったときにかかった時間を考慮して、今日は1時間で作る予定だった。
だが、意外とやっかいで、結局3時間もかかってしまった。

今日は午前中からジムに行き、くたくたになるまでスクワットやらヘビーなウェイト・トレーニングをしたため、
全身が疲れきっていた。
さらに3時間、腰を曲げて屈んだ姿勢でいたため、棚が出来あがった頃には体力が消耗しきっていた。
眠くて、眠くて、19:00にはまぶたがくっつきそうだった。

私の通っているスポーツジムからめずらしく書留がきていた。
20:30になってようやく封筒を開けた。
読んでみると・・・・、なんと、不況で経営が苦しくなったため 2002.03.31 に解散することになった、
という内容のものだった!
どうやら年会費は返してくれるようだが、自宅から歩いて3分のところにあり、とても便利なジムだったのだ。
勤務が遅いときにはジャクジーにつかりにいき、結構重宝していたのに!
4月からどこのジムに行こう?
以前行っていた京橋の World Gym は遠いし、
三ノ宮にオープンした Gold Gym も行ってみたいけど、あそこも遠すぎる。
西宮のエグザスにしようか?
尼崎のエグザスにしようか?
ピープルの株買って、株主総会に出て、良い物件(私の行っているジム)が解散するから買い取ったらどうか?
と提案するのはどうだろうか?
う〜ん、どうしよう・・・・・???
そんなことを考えているうちに目がパッチリ。
明日は早いから早く寝ないといかんのに!

ジム解散のニュースに、さらにドッと疲れが出た一日だった。



2001.12.23

朝一の 関空 → 熊本(253便)。
整備さんが外部点検をしたところ、
後方の Water Drain(水を機外に排出する細いパイプ)の先端が少し欠けていたようだった。
昨日の夕方以降関空に着陸した飛行機は、かなりの確立で被雷したようで、
私達の飛行機も雷に当たっており、それが原因だったのかもしれない。
飛行機の一部が破損している場合、飛行性能が悪化している可能性もあるので、
修理せず、そのまま飛んで良いかどうか、規程を調べて確認する。
だが、Water Drain の一部が欠けているだけなら、飛行性能に影響があるはずはない。
それでも念には念を入れて規程類を調べ、本当にそのまま飛んでも良いのか確認をする。
100%安全でなければ出発させないのだ。

羽田の整備本部のような場所でこの規程類の確認が行われていたようだが、調べるのに時間がかかった。
問題ない、という判断が出るまではお客さんが搭乗することもできない。
早く結果が出ないかなぁ・・・・・・。
出発時刻を過ぎて10分、コックピットに座ってから25分ほどして、ようやく「OK」との連絡を整備さんからもらった。
幸か不幸か、お客さんは13名しかおらず、搭乗を開始してから数分で出発の準備は完了。
定刻08:45のところを09:01に Push Back を開始した。
この時点での遅れは16分。

Spot 23 から Runway 06 へ向けて Push Back。
尻を Runway 24 の方向に向けたため、ほぼ同タイムに Push Back しようとした JAS の MD の邪魔をしてしまった。
ゴメンナサイ!
急いでエンジンをかけて Taxi Out し、JAS が1秒でも早く Push Back できるように場所を空けた。

私達の飛行機は関空−熊本を往復してから、35分の中空きで仙台へ行く。
熊本から関空に戻って乗員は交代だが、できれば定刻でバトンタッチしたい。
遅れた分はなんとか取り戻したいのだ。

普段は 30,000ft 以上の高度で熊本へ向かうのだが、
今日はその辺りの高度が揺れていたため、低めの 22,000ft で巡航した。
向かい風は弱く(時速110km程度)、途中ショートカットして飛行。
熊本は曇りで 5,000ft 近辺は雲がベッタリ。
熊本空港まで約10マイル(18km)の地点で 5,000ft の雲の下に出た。
もちろん Visual Approach をもらった。
ILS でちんたら降りている余裕はない。
熊本空港には10:01、定刻より6分遅れで到着した。

折り返し関空行き、254便。
前便の253便のお客さんは13名だったため、清掃にはほとんど時間がかからない。
これまた幸か不幸か254便もお客さんは20名。
搭乗もあっという間に終わり、定刻には Push Back を開始できた。
さらに関空へのアポローチは ILS 06 で、
しかも私達より前には20マイル(38km)先にネパール航空が1機いるだけだった。
関空の到着ゲート Spot24 に入ったのは、なんと11:20。
定刻より10分も早く早着してしまったのだった。

仙台行きのクルーに迷惑がかからなくて良かったぁ♪



2001.12.30

夢を見た。
強烈に覚えている・・・・・・。

OPEN SPOT(ターミナルから離れて飛行機が駐機されている)へ行かなくてはならない。
私の業務は Safety コーパイ。(副操縦士の訓練生が右席に乗り、私はジャンプシートで見守る役)
キャプテンと訓練生は、私を残してクルーバス(乗務員専用のバス)に乗って飛行機へ向かった。
私もすぐ後のバスに乗ったのだが、他の便のクルーと相乗りだった。
前方のバスは左へ曲がり、私の乗るバスはまっすぐ進んだ。
どこまでも直進し続けるバス。
「運転手さん、私は○○Spot に行きたいのですが・・・・。」
そっちには行かない、とあっさり言われてしまった。
仕方ないのでバスを止めてもらい、降りて、トボトボ歩いて飛行機へ向かった。
そこはだだっ広いコンクリートの敷地だ。
何故か途中に数人、人がる。
私を指差してあざ笑っている。
乗るバス、間違ってやんの!とバカにされている。
彼らはみんな水鉄砲を持っており、私にめがけて発射してきた。
私は水を浴びながら、黙って歩き続けた。

どうやら私が乗る飛行機がある場所に、私は到着したようだった。
そこには飛行機の代わりに、バスが何台も停めてある。
沢山の乗客が列を作って、それぞれのバスに乗りこんでいく。
どのバスもギュウギュウ詰めだ。
私が乗務するはずの「バス」も既にギュウギュウ詰めだ。
私はお客さんの後に乗れば良いのだろうか?
お客さんを掻き分けでコックピットまで行く隙間はなさそうだ。
そばに客室乗務員(CA)がいた。
どうやらここは大阪のようだ。
大阪 → 松山に 31,000ft で行くのだそうだ。
また大阪 → 高松も 31,000ft で行くのだと彼女は言った。
そんな近距離、目的地に到着する前に 31,000ft まで上がれるわけないよなぁ・・・・、と思いつつ、
私の頭の中では、松山と高松の中間に大阪があるイメージなのだ。
大阪 → 高松 って東行きだよな・・・・・・?
それ以前に、バスでどうやって飛ぶのだろう?

目が覚めた。 眠い。 妻がカーテンを開けている。
「もうちょっと寝かせてくれよ。 まだ眠いよ。」
何、言ってるのよ。 今、11時よ。 昨日10時に寝たじゃない?」(妻)
そっかぁ、そんなに寝たのなら眠いわけないよな。
起きるか・・・・・。
トイレに行き、小便をした。
ボーッと用をたしていたが、何気なく下を見ると小便が便器の外へジョボジョボと大量にこぼれている!
床に黄色い水溜りができているではないかぁ!
ゲェ〜!
きっと妻に怒られるぞ。
拭いておかんと。

ハッと目が覚めた。
今度は本当に目が覚めた。
ここまで全部夢だった!
まだ真っ暗だ。
5時だった。
強烈に小便がしたかった。
夢の出来事があまりにもリアルだったので、思わず股間が濡れていないかチェックした。
尿道を尿が通過する感覚まであったからだ。
もらしていなかった。
良かった。

そして再び眠りについた私は夢を見た。

コックピットに座っている私。
日が沈んだばかりのようだった。
間もなく揺れそうな雲の中に入りそうだ。
キャプテンはだまって高度を降ろして雲に入らないようにした。
高度を勝手に下げることはできない。
必ず管制官に許可をもらわなくてはならない。
何で勝手に高度を下げるんだろう?
私はどうすればいいのだろうか?
キャプテンの顔を不思議そうに見ながら、どうしようか迷っていると、
揺れそうな雲の下を通過し、キャプテンはもとの高度まで上昇した。

私は遊園地の中の、ロープウェイのあるビルの中にいた。
乗務している途中、降りたようだった。
いつ飛んでいる飛行機から降りたのだろう?
キャプテンが着陸して、私のいるロープウェイのあるビルにキャプテンがやってくるのを私は待っている。
頭上を飛行機が爆音をたてて上昇していった。
ゴーアラウンドした飛行機は、どこかへ消えて行った。
それが私が待っていた飛行機だった。

私はホテルのレストランに座っている。
朝食のバイキングだ。
きっと勤務が午後からなのだろう。
私は他にすることもないし、お昼まで粘ることにした。
食べものが置いてあるテーブルと、私の席の間を、お皿を持って何度も往復した。
レストランには私以外、誰もいない。
ウェイター、ウェイトレス、みんなイヤな顔をしている。
それでも無視して、私はその場に居続けた。

いつの間にかレストランは満員になっていた。
ランチタイムだ。
テーブルに戻ると、私のテーブルには4人家族、小さな男の子2人とそのご両親、が座っている。
合い席にされていたのだ。
私の皿には少しのライスがある。 水を入れすぎて炊いたような、グチャグチャのライスだ。
4人の皿にも少しずつライスが分けてあった。
「あー、僕のライス取ったなぁー。」(私)
子供達は黙って私を見つめている。
ご両親はそっぽを向いている。
「カレーを食べるのに、こんなにグチャグチャのライス、まずいよね。」(私)
僕は好きだよ。」(子供)
「ふーん、そうなんだ。 僕は固めのライスがいいなぁ。」(私)
そうですね。
お母さんらしきひとが、無愛想に答えた。

外は日が沈みかけている。
私の仕事はどうなったのだろう?
ウェイターが忙しそうに片付けている。
レストランが閉まるのか、それともディナー前の準備をしているのか分からない。
私のテーブルは窓際のカウンターに移されていた。
私も、そろそろレストランを出ることにした。
テーブルにはラー油のようなものがあちこちに飛び散っている。
私がやったのだろうか?
そばにウェイトレスがきて、私の周りのテーブルを拭いていた。
そこにもラー油がこぼれている。
私は置いてあったフキンを使って、自分の座っていたそばのテーブルを拭いた。
ラー油のようなものがこびりついていて、なかなか拭き取れない。
力を入れて、ゴシゴシ、テーブルを拭いた。
いつまでも拭き続けた・・・・・・。

目が覚めた。
まだ強烈に眠い。
朝8時だ。
夢をこれほどしっかり覚えていることはめずらしい。
普段、私は夢を覚えていない。
今日は12月30日。
もし今晩夢を見なければ、この夢が「初夢」ならぬ、「終夢」になってしまうのだろうか?
支離滅裂、やる気のない、食い意地の張った、みんなにおちょくられる私。
21世紀の最初の年の最後の夢にしては、あまりにも可哀想な、それでいて要点をとらえた夢ではないか?