2002.05.02

便乗(DH)で荷物を預けたのだが、ステイバッグの取っ手の部分が壊れて戻ってきた。
クレームをつけたところで直してもらうのには時間がかかるだろうし、自分で直すことにした。


取っ手の左付け根部分のヒンジ(棒)がとれている。

この穴にはまる金属の棒を探す。

古釘で穴より若干太めのものがあった。

古釘を鉄ヤスリで削り、
穴の直径と同じにする。


100円SHOPでも購入できる金属用ノコで、
必要部分を切り取る。

先端部分を切り取ったところ。

端の部分は若干太めにしておく。

金槌でたたいて穴にはめ込めば完成!



2002.05.05

朝一の関空発松山行きのブリーフィングをディスパッチで受けた。
松山空港近辺に霧が発生しているため、若干上空で待機する可能性もあるとのことだった。
西日本は高気圧に覆われており天気は良好。
例え朝に霧ができていたとしても、日差しが出て気温が上がれば霧は消えるはず。
燃料は多めに積んだし、問題ないだろう。

松山空港に近づき、カンパニーで空港周辺の現況を聞いた。
どうやら、私達が到着する前にアプローチした飛行機は1回ミストアプローチしたようだった。
(ミストアプローチ=滑走路が見えずに着陸をやめて上昇すること)
確か、風は300度方向からだったけど、弱かったよなぁ・・・・・。
追い風でもILSは使えたはずだし、それでも着陸できなかったなんんて、よっぽど天気が悪かったんだろう。
天気は・・・・・
視程7kmで RVR 500m???
それってどういうこと?
「海霧だろうなぁ、きっと。」(キャプテン)

ILS 14 で着陸するには海から(北西から)南東に向かって進入する。
地上の風は300度の方向から7kt。
陸に対して北西にある海の方向から、南東の海岸線に位置する空港に向かって吹いていた。
海の上に発生した霧が、風に流されて滑走路を覆っているのだろう。
滑走路14についているRVRと呼ばれる計測器は、霧に覆われた14から見た滑走路上の視程を計っている。
この値が500mだとすると、ILSで地上250フィートまで降りたとしても、滑走路が見えるはずはなく、
ミストアプローチする羽目になる。

RVRが500mなのに視程が7kmもあるということは、
滑走路14以外の方角については、空港から7km離れたものが肉眼で視認できる、ということだ。
霧は海から滑走路14の端まで流されてきていて、32の側までは届いていない。
「海霧」という言葉を聞いたとき、そんな状況が想像できた。

キャプテンは、ILS 14 アプローチで飛行場に接近し、途中で水平飛行して海岸線近くまで行き、
滑走路が見えたら32の側に回りこむ作戦をたてた。

私達の前を他機がアプローチしていた。
当初、ILS14で海からまっすぐ降りることを計画していたが、彼らも途中で32に回りこむことにしたようだった。

計器上にTCASがアプローチ機を映しだす。
TCASが表示するその飛行機の高度を見ていれば、アプローチを継続しているか、断念したかが一目瞭然だ。
少しずつ滑走路14に近づいて、途中で水平飛行に移った。
そこから高度を上げれば、着陸を断念して上昇したわけだし、
高度を下げれば滑走路が見えて32に回りこんでいる、ということになる。
そして・・・・・・・・。
降りたっ♪

次は私達の番だ。
ILSの電波に乗って高度を下げて行った。
途中で雲が切れ、空港の右(北側)と左(南側)の海岸線が見えてきた。
だが、肝心の滑走路は低い雲に覆われており、全く見えない。

ILS14から32に回りこむアプローチでは、高度を520フィートまで降ろすことができるのだが、
そこまで降ろすと低い所に漂っている霧に入ってしまい、何も見えなくなってしまう。
1000フィートで水平飛行をし、霧の上を飛行して海岸線に接近した。
すると・・・・・・・、見えたぁ〜♪
なんと、滑走路の半分、14側は完全に霧に覆われて見えないのだが、
反対側、32サイドは霧も雲もなく、はっきり見えているではないか!!

あとは右旋回して滑走路の南に向い、32側へ回りこんで降りるだけだ。
32の向こう側は山で覆われており、そこには低い雲が溜まっているので、
余裕かまして行き過ぎると雲に入って滑走路を見失ってしまう。
そんなことをすれば、ミストアプローチしなくてはならない。
キャプテンは山に近づき過ぎないように、雲に入らないように、通常よりもやや小回りで32側に回りこみ、着陸した。

次の便は松山発千歳行き。
定刻にPush Backをし、すんなり離陸できるはずだったが、
アプローチ機が3機いるので彼らが降りるまで20分地上で待つことになってしまった。

霧は晴れるどころか濃くなっているようだった。
しかも、海から流れてきた霧は陸に溜まり、山の手前で低い雲になり、32側もふさいできているように見えた。

1機目は、たまたま14側の霧が薄くなり、一時的に視程が良くなった瞬間にILS14で海からまっすぐ降りてきた。
2機目はILS14で着陸しようとして、滑走路が見えずミストアプローチを開始し、
上昇して霧の上に出たところで滑走路が見え、
すぐ水平飛行して濃くなった雲の隙間をぬうように32側に回りこんでなんとか着陸した。
3機目がアプローチを開始するころには14側の霧は濃くなり、32側の低い雲も陸を覆い尽くすように増えていた。
案の定、3機目はILS14では滑走路を見つけられずミストアプローチした。

3機目のミストアプローチ後、私達は先に32から離陸させてもらった。

上昇中、カンパニー無線を聞いていた。
ミストアプローチした飛行機が再びILS14でアプローチを開始したが、今度は32に回りこむことにしたようだった。
私達は、離陸後、空港周辺の雲の状況を見渡す機会があった。
32に回りこむのはすでに不可能ではないか?と思われる状況を、カンパニーに一報入れた。
その後、数分してから再びアプローチ機はミストアプローチした。
カンパニーはILS14側の霧が薄くなってきており、今ならILS14で降りれそうだ、と飛行機にレポートを入れていた。

私達は松山空港を離れ、別のカンパニー無線の周波数をセットした。
その後、あの飛行機が無事着陸できたのかどうかは分からない・・・・・・。

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そういえば、過去に米子空港で今回と正反対の天気のことがあった。
海上からアプローチをすると、雲一つない良い天気で、
かなり遠くから飛行場は見えていたのだが、滑走路は霧に覆われていた。
それは不思議な光景だった。
滑走路の進入する端から飛行機が接地する場所(端から内側に約300m)までは路面が露出していた。
その先は低い霧で何も見えない。
滑走路の進入端を通過したとき、コックピットから見ると私達はまだ霧の上におり、はるか彼方の景色が見渡せた。
ところが接地すると同時に霧に突っ込み、回りは真っ白。
滑走路の中心線とライトを見ながら着陸後、停止するまでまっすぐに進んだ。
30分後、折り返し米子を離陸するまでにその霧は消え、飛行場周辺は青空が広がっていた。



2002.05.06

知人の家へ遊びに行ったときの出来事。
私が、自分の妻のことを「嫁(よめ)」と呼んだ。
彼は、「嫁」と言うと、どっかからか連れてきた、みたいに聞こえるから嫌いなのだそうだ。
より対等な感じに聞こえる、「家内」、又は「連れあい」と彼は呼ぶのだと言う。

以前、大阪の友人に「嫁の○○です。」と妻を紹介した。
家に帰ってから、妻はその表現がとてもイヤだったと言った。
「姑」に対して地位が低い「嫁」のように聞こえるために、バカにされているように感じたようだった。

関西出身のキャプテンが、妻のことを「よめはん」と呼んだのを初めて聞いたとき、私はその響きがとても好きだった。
何故だかは分からないが、関東出身の私にとって、何か温かい、ほんわかするイメージだったのだ。
だから結婚したら、妻を「よめはん」の省略形の「嫁」と呼ぶことに決めていた。
私が妻と出会い、結婚したのは大阪に転勤してからのことだ。

ずっと昔、留学していた頃、男性が「My Wife」と妻のことを呼ぶのを聞いた。
あの当時は「My Wife」という響きが好きだった。
日本では、妻のことを「妻」と他人に紹介する人は少ないと思う。
こっ恥ずかしいからだろうか?

私の知る限り、「家内」と呼ぶ人が比較的多いように思うが、私はこの表現が嫌いだ。
「家内」と言うと、まるで、妻は家の内に居る人、専業主婦、みたいに聞こえる。
男女は平等であるはずだし、たまたま夫がサリーマンをしていて外でお金を稼ぎ、妻が主婦をしているだけで、
女性がサラリーマンをして、夫が主夫をしても良い、と私は思う。
そういう意味で、夫のことを「主人」と呼ぶのも嫌いだ。
何で夫が「主」の人でなければならないのか?
たまたまサラリーマンをしている夫が「主」で偉い、みたいに聞こえるのがたまらなくイヤなのだ。
他人が私の妻のことを「奥さん」と呼ぶのも嫌いだ。
妻は、いつも家の奥にいなくてはいけないのか?
外で働いてはいけないのか?
そう思えてしまう。

そんなわけで、関西に来るまで、私はいつか結婚したら、妻のことは「妻」と呼ぶことに決めていた。
しかし、関西で「よめはん」という言葉を聞いてから、「妻」という言葉の響きに冷たさを感じるようになった。
「My Wife」と言うと「自慢の妻」、というイメージなのだが、単に「妻」と言うとぶっきらぼうに聞こえてしまうようになった。

改めて考えてみると、時には私も「妻」という言葉使って、他人に妻の話をする場合がある。
それはどんな場合か考えてみると、関東の人と話をするとき、あまり見識のない人、あかの他人と話をするとき、に思える。
そして、親しい人や、関西出身の人には「嫁」という表現をしているような気がする。
この使い方は間違っているのだろうか?

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私が好きな響きを持つ「よめはん」という表現を使わず、「嫁」と呼ぶのにもわけがある。

ある関西出身のキャプテンは、いつも関東弁で私に話しをするので、彼が関西出身であることを私は知らなかった。
ある日、彼が関西出身の人と関西弁で話しているのを聞いて、初めて彼が関西出身であることを知った。
私の知る関西人はみんな、どこへ言っても、だれと話しをするときでも、関西弁を話す。
例えば関西の人は関東に転勤になっても関西弁の残る人が多いように思う。
それに対して、関東の人が関西に転勤してしばらくすると、関西弁が移ってしまう。
なんでだか分からないが、私はそういうケースが多いように感じる。

私に関東弁で話す関西出身キャプテンに、何故みんなに関西弁で話しをしないのか、聞いたことがある。
彼曰く、関西弁の移る関東人が嫌いなのだそうだ。
とくに正しくない発音の関西弁を発する関東人は嫌いで、ほとんどそういう関東人ばかりなのだと言った。
「関東の人は関西に来ても関東弁で話せ。 変な関西弁を話すのは失礼だと、関西人はみんな感じている。」
そう言われたのを今でも覚えている。
それで私は、関西に来てからもう5年にもなるが、移りそうになる関西弁を出来るだけ使わないように努めている。
「よめはん」という私の好きな表現を使わないのも、同じ根拠からだ。

そこまで考えて「よめ」という表現を使っているのだが、やっぱり人それぞれ感じ方は違うもので、
失礼な呼び方、と解釈されてしまうこともあるのだろう。

世の中にいる沢山の人達は、ひとと話しをするとき、相手に不快感を出来るだけ与えないように
ああでもない、こうでもないと、考え、時には悩みながら、言いまわしを考えるのだと思う。
言葉使いだけではなく、話しの内容についても、きっと気を使っているのだろう。
それでも相手にこちらの真意が100%伝わることはなく、
必ず幾分は誤解されて相手を傷つけてしまったり、不愉快にさせたりしてしまう。

言葉って、ほんと、難しい。



2002.5.13   USJ

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行った。
朝、8:00にバイクで家を出て、USJに到着したのは08:30過ぎ。

E.T.アドベンチャー(08:40)
最初に向かったのはE.T.
Eパスをゲットする予定だったが、待ち時間10分だったので、そのまま乗ってしまった。
人気のある乗り物との話だったが、乗っている時間は短いし、子供だまし的な感じが否めなかった。
USJに来て早々、イヤ〜な予感がした。

ジュラシック・パーク・ザ・ライド
次に向かったのはジュラシック・パーク。
こちらも待ち時間10分程度だったので、Eパスは取らず、そのまま乗ることにした。
運良く一番前の列に座ることができて、ご満悦。
ただ、楽しみにしていたわりには恐竜達の量が少な過ぎた感じがする。
また、フェンスの向こうにUSJの外の景色が見えているのが残念。
最後の落下する部分は最高♪だった。
うんうん、乗りものはこうじゃなくっちゃ♪
と、思うともう終わり。
乗り物に乗っている時間が異様に短かった。
そういえば、E.T.も乗り物の時間が短かった。

ジョーズ(09:50)
ここも待ち時間は10分程度。
前から3、4列目、左端に座ると良い、と聞いていたが、最後方の一番左になった。
内容は・・・・・、まあまあという感じか。

ウォーターワールド(10:20〜10:40)
最前列の青いシートの場所に座ると、濡れて面白いのだが、
早めに並んでおかないと座席を取れないという話を聞いていたので、並んで待つことにした。
そして、青いシートをゲット!
内容は、これまたまあまあ。

バックドラフト(11:00〜11:20)
待ち時間は15分程度。
昼に近づくにつれて、お客さんの数が増えてきていた。
最前列が良いので、3列に並ぶとき一番右に行くように、と聞いていた。
前座が2回もあり、かなりかったるかった。
もったいぶって待たされたわりには、う〜ん、いまいち。

バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド(Eパス)
30分待ちだったので、初めてEパスをゲットした。


お腹が空いてきたのでピクニックエリアへ行き、持ってきた弁当を食べた。


ターミネータ2 : 3D(11:45〜12:20)
解説のお姉さんが、上品なようでとてつもなく口が悪く、彼女のトークが最も面白かった。
3Dの特性を生かし、画面の中に人が入っていったり、出てきたり、演出はまあまあ。
だが、画面の中は本物のシュワルツネッガーで、画面の外の人物は明らかに別人なので、
その辺のギャップに興ざめしてしまった感がある。

モンスター・メーキャップ(12:30〜)
これは、かなり・・・・・・。
まあ、批評はよそう。
ウォーターワールドもそうだったが、USJのSHOWには期待しない方がいいかも・・・・・。
妻も私もぼちぼち感じ始めていた。

メルズ・ドライブイン
ここで一息入れて、スナックタイム。
フレンチフライとバニラシェイクをオーダー。
店の表でダンス・ショーが始まった。
金髪、赤毛の日本人数名と白人が2人、踊っていた。
う〜ん、なんか変。
いまどきの若者がブレイクダンスを踊っているのは似合うのだが、
50〜60年代を装った服装でのダンスに、金髪、赤毛の日本人はイメージが違うような気がした。
周りを取り囲む群衆ものりが悪い。
きっと、本場アメリカでは、みんなで盛り上がるんだろうなぁ、と空しさを覚えた。

バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド(1:45〜)
Eパスのおかげで並ばずに済んだ。
乗り物は8人乗りで、前4人と後ろ4人。
8人で小さなな部屋に入りスタンバイ。
私達は一番後ろから部屋に入ったので、乗り物へと続くドアまで一番遠い位置にいた。
もちろん乗り物の後ろの列に座ることとなった。
落下シーンが多いのだが、後ろの席では画面を見渡すことができず、全然面白くない。
午後になってお客さんが減ったら、また乗りに来ることにした。
もちろん前方のシートに座れるまで。
前座の小部屋の左手に乗り物へと続くドアがある。
解説のVTRがテレビモニターに流されているのだが、これが見易い位置に立つとドアから離れることになり、
乗り物の前のシートに座りにくくなる。
8人いるので、4番目までにはドアを通過できるポシションに居ることが大事だ。
乗り物そのものは、他のアミューズメントパークにあるものと同じ構造をしている。
これから無くなる「ポートピア」や、ナムコのアミューズメントパークにある同じ装置の方がもっと怖かったなぁ・・・。

アニマル・アクターズ・ステージ(13:55〜14:20)
動物の芸がなかなか面白かった。
妻曰く、USJで最も楽しいSHOWは、これだったとか。

ザ・ワイルド・ワイルド・ワイルド・ウエスト・スタント・ショー(14:25〜)
アニマルSHOWからダッシュで移動して、すぐ見ることができた。
これも、まあこんなもんだろう、という感じ。

スヌーピー・プレイランド
リゾートのホテルのプールについている、クネクネ曲がった滑り台を思わせる建造物。
滑り台をゴムボートで下りる企画だ。
子供向けなのかもしれないが、これが意外と心地よかった。
個人的には海水パンツ一丁で、腹ばい、頭下で滑りたかった。

ジュラシック・パーク×3
SHOWも見飽き、行くところがなくなってしまった。
開園から閉園まで居ることに決めていたので、どうやって時間を潰すか、それに悩んだ。
乗り物で面白かったのはジュラシック・パークだけだったので、これに乗ることにした。
落下していく途中、写真を撮られ、降りるときに見ることができる。
1枚最低1200円?!もする。
この写真にどんなポーズで移るか妻と相談しながらチャレンジ。
幸い乗り物の待ち時間は5分以下。
私は何度も乗るつもりだったが、上を見あげるポーズで落下中、妻が鞭打ちのような症状になってしまい、
3回目は私一人で乗り、それで終わりにした。

バック・トゥ・ザ・フューチャー
再びここに戻ってきた。
Eパスはなかったが、待ち時間10分程度。
8人組で部屋に入り、私達は前から5、6番目だった。
また後部シートかぁ〜、と思ったら、前の4人はモニターの見易い位置に立った!
悪いなぁ、とは思いつつ、すかさずドアの前に立ちVTRは無視。
今度は前方のシートに座ることができた♪
でも、やっぱりナムコの方が面白かったなぁ・・・・・。

アミティ・ランディング・レストラン
そろそろお腹も空いてきたし、ということで、17:00過ぎに早めの夕食をとることにした。
暗くなってから乗る 「ジョーズ」 と 「ジュラシック・パーク」 は雰囲気が違っていい、という情報は聞いていたので、
その近くのレストランに陣取ることにした。
食事を終え、SHOWスケジュールを眺めていた。
「一人5500円も払ってせっかく来たんだから、見れるSHOWは全部見とくか?」

アニメ・セレブレーション
レストランを出て、人が並んでいる場所に私達も並んだ。
ここのSHOW、どうやってコンピューター・グラフィックと登場人物を重ねて映像を撮影しているのか、
とても興味深いものだった。
妻はSHOWを見る、という行為自体に飽きていたようだったが・・・。

アニメ・セレブレーションのSHOWが終わり、SHOWスケジュールを見ると、
走って1〜2分の場所でユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショーが始まるようだった。
18:10にSHOWが始まるのかぁ・・・・
で、今は・・・・、18:05。
走りゃあ間に合うじゃん!
妻の手を取り、引っ張って走った。
18:07に入口に到着したが、入口はすでに閉まっているではないかぁぁああ!!!
疲れてるのに頑張って走ったんだぞぉ〜! 入れてよ!
次のSHOWは19:20です。
ゲートにいたお兄さんは、ゼイゼイいってる妻と私、後ろから走ってきたカップルに向かって、冷たく言い放った・・・・。

アミティ・アイスクリーム
ちぇっ! まっ、しゃぁ〜ないか。 アイスでも食いにいくか。
すると妻の表情に笑顔が戻った。
アイスクリームとコーヒーを頼み一休み。

ジョーズ
日が沈みかけてきてから乗った。
確かにうわさ通り、同じアトラクションなのに雰囲気が違い、いい感じだった。

ジュラシック・パーク
ジョーズでせっかくレインコートを着ているので、そのまま近くのジュラシック・パークへ向かった。
こちらも雰囲気の違った感じが良かった。
また、明らかに偽物っぽい恐竜達が、暗くなってよりリアルに見えたのは、ちょっした驚きだった。

ジュラシック・パークを出て、時計を見ると19:10!
SHOWスケジュールを見ると、さっき見逃したユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショーは
19:20に始まることになっている。
ここからはかなり距離があるし、一日中歩き回ってクタクタだったが、最後の力を振り絞って走った。
「走れば3分でいけるはず。 間に合うはずだから走ってみようよ。」
妻は必死に走ったが、辛そうだった。
もういいよ。 やめようよ。」(妻)
「いい〜や、頑張れぇ。」
後ろを振り返りながら、ヨロヨロ今にも倒れそうな妻がついてきていることを確認しながら走った。
そして・・・、アトラクションの入口が見えた。
私は妻を振り切ってゲートまで先に行き、今度は閉められないように入口に立ちはだかって妻を待った。

ユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショー(19:20〜)
司会者の 「ビートルジュース」 は、とてつもなくテンションが高かった!
彼のトークは最高だったが、これを一日中やっているのかと思うと、可哀想な気もする。
それとも彼は毎回エンジョイしているのだろうか?
毎日出勤しているわけはないので、彼の代わりの 「ビートルジュース」 は、いったいどんな演技をするのだろう?
見てみたいような気もする。
その名の通りのロックンロールSHOWで、内容は充実していた。
残念なことに既にクタクタだった私達は、テンションについていけなかった。

ハリウッド・マジック(20:00〜)
ロックンロールSHOWが終わり、外に出るとUSJの中心に位置する池の周りは
ハリウッド・マジックを見る人達でいっぱいだった。
花火は小規模だったが美しかった。
池の中、外で行われる小さなSHOWは遠すぎてほとんど見えなかった。

ハリウッド・マジックSHOWが終わってから、もう一度 「ジョーズ」 と 「ジュラシック・パーク」 へ行く予定だったが、
あまりにも疲れていたのと、乗り飽きたのとで、帰ることにした。

帰り道は道がガラガラで信号の接続も良く、25分で帰宅した。

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USJの感想は・・・・・、1回行けば充分だと思った。
乗り物に乗っている時間が短すぎるのと、内容が子供だまし的なのが残念だった。
どちらかというと子供向きのテーマパークかなぁ?

USJの敷地を囲うフェンスは低く、周りを見渡すと外の景色、高速や他のビルが丸見えだった。
ディズニーランドのように、テーマパークはいったん中に入るとそこは別世界、というのが売り物のような気がする。
ファンタジーに浸れるからこそ楽しい。
そういう意味で、USJは何か物足りなかった。
また、USJ内の町並みがアメリカ風なのは良いのだが、どれも安っぽい作りで、あまりにも実物とかけはなれている。
作りものの沢山のお店は、当然閉まっており、私の目には閑散としたすたれきった町として映った。

USJへ行くことは以前からかなり楽しみにしていたが、意外とつまらないのに驚いた。
本場アメリカもこの程度なのだろうか?



2002.05.19

千歳 → 中標津(485便)は通常通り 17,000feet で向かった。
千歳空港周辺の雲頂高度が 20,000feet 程度であることは、
前便で千歳にアプローチしたときに分かっていた。
17,000feet で水平飛行に移ったが、そこは薄い雲の中だった。
揺れそうにないことを確認してからシートベルトサインを消した。

しばらくすると薄い雲が青みがかってきて・・・・、そして雲の外に出た。
17,000feet より上に雲は全くなく、下は 16,800feet のあたり一面が雲で覆われていた。
綿菓子のようにモコモコした雲は、平らな所もあれば、所々波打つように高い所や低いところがあった。
時折、エンジンが雲にかするのでは?と思えるほど接近し、また離れていく。
飛行機は雲の大海原の上を滑るように、一直線に中標津に向かって進んで行った。

前方を見ると、17,000feet ではかわせない、ほんのちょっとだけ高い雲の盛り上がりがあった。
あれは越えられないよなぁ・・・・・。
キャプテンはシートベルト着用のサインを入れるよう、私に指示した。
それとほとんど同時に管制官は降下を許可してくれた。
いいタイミングだ。
コンピューターの計算した降下開始点より若干手前ではあったが、キャプテンは降下を開始した。
盛り上がった雲に入る瞬間、一時的に揺れたが、その後は気流は良好だった。

中標津に着陸するためには、いずれ高度を下げなくてはいけなかったのだが、
私は雲が続く限り 17,000feet で雲の上を滑る感覚を楽しみたかった。



2002.05.21

昨日、一昨日とかなり寒い日だったが、今日は日中から気温が上がった。
1時間のウォーキングへ行き、帰ってくると、妻は靴下を脱ぎながら言った。

なぁ、なぁ、なんで足の裏に汗かくんやろう?」(妻)
「そんなの、誰だってかくさ。 暑い時に靴下履いたら、足の裏に雨が降るんだよ。」

足の裏に汗をかく、と言おうとして、間違ってしまったのだが、妻はバカうけしていた・・・・・・・・。



2002.05.23

今日はスタンバイ。
会社で勉強していると、若いキャプテンに声をかけられた。

1万円くずせる?」(キャプテン)
「すみません。 千円しか持ってないですよ。」
千円札でもいいねんけどな。 くずせれば。」(キャプテン)
「いえ、千円札、1枚しか持ってないんですよ。」
オマエ、小学生のお使いとちゃうんやからなぁ。」(キャプテン)

キャプテンは笑いながら事務所を出て行った。
どうやら銀行(ATM)へ行ったようだった。
私の財布の残金は、1051円だった。



2002.05.25

関西 → 宮古島 を2時間半かけて飛び、折り返し 宮古島 → 関西 を2時間かけて戻った。

関空へ向けて高知近辺を降下中、私達より前に関空へアプローチしている飛行機を発見。
うちの774便だ。(鹿児島 → 関西)
前方20マイルのあたりを飛んでいる。
彼らは私達より低い高度を飛んでいるので、速度はかなり遅いようだ。
段々距離が狭まっていくのが計器上のTCASが映し出す機影を見ていると分かる。
なんだよ〜、邪魔すんなよぉ〜。
長旅で疲れてて、一刻も早く着陸したいんだからさぁ〜。
予定では私達は定刻より5分は早く関空に到着できる計算だったのだ。
まっ、内輪でもめてもしゃ〜ないわな。
私達は管制官が許すであろうギリギリの間隔まで774便との距離を縮めてから、
一定の距離を維持できるように減速した。

そういえば、この間宮古島から帰ってきたときも774便と重なって邪魔されたっけか。

関空に近づくにつれて、それまで静かだった無線が騒がしくなってきた。
774便の前に到着機が入るのだろうか?
それとも私達の後ろかな?
774便とうちの間はかなりつめてるから、他に飛行機を入れることはないだろう・・・・。

淡路島に接近すると・・・・、ゲェ〜!
A社に飛行機が私達の向かって右側から(南から)、
コソーッと私達の前に入ろうとしているではないかぁあぁあ〜〜!!??
あれって、774便の前に入るんだろうか・・・・?
ウッソ! マジィ〜!
うちの前に入るわけ???
管制官に減速するように指示をされ、さらにA社の後ろに続くように私達を誘導しだしたではないか。
トホホ・・・・。
ようやく774便の後ろにA社がつき、私達はA社の後ろにつき、
3機が適切な管制間隔を保ってアプローチできる体制に入った♪
まっ、1機くらい、しゃーないわな。

すると、淡路島の北からまた1機入ってくるではないか?!
「スピードバーグ」って呼ばれてるけど・・・・、British Airways か?
こんなに間隔ひっついてるのに、どこに入れるわけ?
入れないっしょ?
もち、うちの後ろだよねぇ〜?
って、A社の前に入れるのぉ〜??!!
オイオイ、冗談じゃないぞぉー!

もちろん私達やA社のパイロットに選択の余地はない。
British Airways は堂々と、悪気ナッシングで774便の後ろについた。

結局、私達は定刻を2分遅れて関空に到着した。


関空 → 松山 は無事、定刻に出発した。
松山までは天気も良く、いつも通り 20,000feet で向かった。
松山に接近すると私達がこれから通る同じコース上、30マイル先に、
20,000feet で飛んでいる飛行機を発見した。
これって、まさか・・・・・。

イヤ〜な予感はみごと的中。
それは・・・・、名古屋 → 松山 のプロペラ機ではないくぁぁあぁあぁぁああ〜〜〜!!!!
みるみるうちに先行機に私達は接近したが、松山へのアプローチは彼らが先だ。
途中からとてつもなく減速したが、それでも追いついてしまい、距離はズンズン近づいていった。
当然プロペラ機は松山へショーットカットのルートで飛び、私達は減速しつつも遠〜回り〜♪

気流も良かったし、松山空港へは定刻で到着できたし、
まぁ〜、いいと言えばいいんだけど、
やっぱり空中にいる時間が長ければそれだけ余分に燃料を燃やすし(非効率)、
1日に2回も連チャンで遠回りさせられると、気分がよろしくない。

ついてない日って、とことんついてないことあるよなぁ〜。



2002.05.28

千歳発中標津行き、485便。
コックピットに座って準備していると、客室からアナウンスが聞こえてきた。
なに、なに?
キャッシュバックって・・・・?
え゛っ?
えぇ〜?!
7000円のキャッシュバックだってぇ〜。
うわぁ〜、いいなぁ〜。
「キャプテン、僕らも7000円、もらえるんですかねぇ〜♪」
んなわけないだろ!」(キャプテン)

中標津に到着してから客室乗務員(CA)に話しを聞いた。
「銀行口座を書き込む書類があるんですって?
 僕、今、口座、分かんないんですけど、その書類って、どこで手に入るんですかぁ?」
その辺に落ちてるんじゃないですか?」(CA)
「冗談はさておき、で、どうだったんですか? お客さんの反応は? 喜んでたでしょう?」
それがですねぇ、無表情、無反応で、正直驚きました。 ガッカリです。」(CA)

う〜ん・・・・・。
せっかくのキャッシュバック。
みんな大げさに、体、全体で喜びを表現してくれないかなぁ〜。
そうすればこそキャンペーンした甲斐があるのになぁ〜。



2002.05.29

大館能代へアプローチをした。
山を越えると平野が開けており、その真ん中に飛行場がある。

んっ?
何かいつもと見え方が違うぞ?
光ってる・・・・・・。
洪水??
大きな川が3本流れていて、その周りが広範囲にわたって水浸しになっているではないか。

それは水を張った田んぼだった♪
川に沿ってかなりの土地が光っていて、一見洪水のように見えるのだが、
水は透き通っていて鏡面のように輝いていた。