2003.05.01

自分の子供は(例えどんなにブサイクでも)可愛く見えるもの、と聞いているし、
実際、シンちゃんは可愛い、と親である私は思う。
いや、思ってきた。 今日までは。
BR> 友人が二人の子供を連れてうちに遊びに来た。
お父さんはイギリス人で、お母さんは日本人。
つまり、息子二人はハーフなわけだ。
上の男の子、ガラスは2才ちょっとで、下の男の子、ルイスは生後6か月。
ガラスは前にも会ったことがあるが、ルイスに会うのは初めてだった。

二人を見て、ビックリ!
メッチャ、可愛い!
ガラスは以前にも増して可愛く、ルイスは、まるで西洋人形のようにお目目クリクリ。
思わず抱きしめたくなるほど、とにかくアンビリーバボー的に可愛いのだ。


         ガラス                   ルイス

ふと、我が子、シンちゃんに目をやると・・・・・・、
ウ゛ッ・・・・、お前、ひょっとしてブサイクか?

知りあいは、みんなシンちゃんを見て、可愛い、と言ってくれるし、
中には、「ハーフみたいにしっかりした顔してるなぁ。」 とまで言ってくれる人もいる。
しかーし、本物のハーフと比べると、シンちゃんはごく普通の日本人だぁ〜〜〜〜〜♪
当たり前か・・・・・。

イギリス人夫妻は、シンちゃんを見て、
なおそっくり、
顔、マン丸、
アンパンマンみたい、
で、可愛い〜〜♪
と言ってくれたが、あまり嬉しくなかったのは、私だけだろうか?
あれほどシンちゃんが可愛いと思っていた妻でさえ、自信をなくし、落ち込んでいるようだった。

とにかく可愛いガラスとルイスをデジカメで撮りまくったが、ガラスは既にお愛想笑いを覚えており、
どう考えても不自然だろう?と思えるほどの作り笑いでポーズをとった。



友人夫妻曰く、ガラスはナルシストなのだそうで、鏡に写った自分の姿によく見とれているらしい。

そんなガラスとイギリス人を連れて、伊丹空港の Runway 32L へサイクリングに行った。
ルイスとシンちゃんは二人のママとお留守番だ。
ガラスは飛行機が大好き、と聞き、是非とも頭上をジャンボが越えていく光景を見せてやりたかった。
残念なことに 32L end へ行った時間帯が悪く、着陸機はほとんどいなかった。
待つこと10分、進入してくるMDが見えた。
比較的小さなジェット機だ。
友人はガラスを肩車し、32L のショートファイナルの真下で待った。
ガラスは初めはしゃいでいたが、飛行機が接近してくると頭が下がり、頭上に来た瞬間、
背中を丸め体勢を低くした。
顔を見ると・・・・、メチャメチャ恐がっている♪
またMDが来た。
友人の肩の上でガラスは暴れていたが、友人は構わず同じ場所に立っていた。
飛行機が頭上を通過するとき、ガラスは顔を隠していた。
もう泣く寸前だ。

また飛行機が来た。
これも小さなジェット機だ。

「 Look! Gareth. Another airplane is coming.」

ガラスは意味不明な奇声を発しながら、飛行機とも飛行場とも全然関係ない方角を指差した。
何度も何度も指差し奇声を発するガラスを、友人はやっと肩から降ろした。
すると、ガラスは走り出した!

逃げてる・・・・・・。

飛行機が頭上を通過すると、ガラスは泣き出した。
Mammy. Mammy. Mammy. Mammy.

「 You wanna go home to see your mammy? 」
ガラスはクルッと方向転換し、今度は自転車に向かって走り出した。
どうやら飛行機は懲り懲りなようだ。
「 We'll tell your Mammy you cried. 」

あんなに好きだった飛行機だが、きっとガラスは飛行機恐怖症に陥ったに違いない。
可哀想なことをした、と少しだけ反省しつつ、逃げるガラスの可愛らしい姿を思い出しながら、
やっぱり連れてきて良かった♪ とニンマリする私だった。

午前中から夜まで、みっちり子供と遊び、疲れた一日だった。



2003.05.03

昨日は一日中、シンちゃんが可愛く見えなかったのには驚いた。
それほどガラスとルイスの面影が、強烈に残っていたのだろう。

ところが、今朝になって、やっぱりシンちゃんはカワユ〜イッ! と思えてしまった。
親バカぶりを発揮するまでに一日もかかるなんて・・・・。

「可愛い」 と思うか思わないかは、他のものと比較することで決まるのであり、
それは相対的な評価なのだろう。
自分の中の絶対的な価値観で、常に一定ではない、
ということを、この年になって初めて気がついた。



2003.05.06

仙台 − 広島 を初めて往復した。
往復したのも初めてだが、広島へ行くのも初めてだった。

伊丹から便乗で仙台へ向かった。
着陸前にギヤ(車輪)が降りた音はしたものの、外の景色は何も見えなかった。
今、どこにいるんだろう?
北日本は高気圧に覆われて、天気、いいんじゃなかったっけ?
高度が高すぎてスピードブレーキの代わりにギヤ降ろす、なんてこと、天気がよっぽど良くなきゃしないわな。
機内に映し出された機外の景色は、長いこと雲一色で真っ白だったが・・・・・、
ボーッとして、またスクリーンに目をやると、そこはすでに滑走路だった。

到着後、カバンを受け取りディスパッチへ向かった。
一番気になるのは、今まで行ったことがない空港の天気だ。
私は広島の天気を詳しくチェックし、どうやら問題なさそうなことを確認。
ホッとしてイスに座ってくつろいでいると、誰かが「霧」の話をしているのが耳に入った。
霧?
どこの空港だろう?
すると、今度は「海霧」という言葉が聞こえてきた。
ふーん、海霧ねぇ・・・・・、まぁ、私には関係ないか。
へっ?
霧?
機内のスクリーンに映った景色を思いだした。
ディスパッチの外の景色を見ると、
ありゃ?
霧じゃん?
そっか、そっか、仙台が霧なんだ。

すると、B737の乗員が言った。
仙台に戻ってこれるかなぁ?
そりゃそうだ。 帰ってくるなら霧も気になるわな。
って、オレも戻ってくるんじゃんかい!!??

仙台の天気予報を調べると・・・・・・、
広島から戻ってくる時間帯に、狙ったように霧で天気が悪くなる予想をしていた。
なんだよ。
広島の天気なんて、どうでもいいじゃん。
降りれるんだから。
まずいな。
仙台に戻れるかなぁ?

広島に到着し、ディスパッチへ向かった。
ディスパッチのテーブルの上に置いてあったのは、JRの時刻表。
しかも、東北のページが開いている。
どこどこ?
やっぱ仙台じゃん!
ディスパッチャーに聞いた。
「東京 → 仙台 の新幹線ですか?」
ディスパッチャーはニヤリと笑って言った。
そうです。
 仙台に降りれなかった場合、羽田へ行ってもらいますが、東京発仙台行きの新幹線の最終は21:32です。
 それに乗るためには、仙台の上空でホールディングしたとしても50分が限界です。
」(ディスパッチャー)

これから起こりうるであろう可能性についてキャプテンと話ながら仙台へ向かった。
しかし、幸いなことに仙台には全く問題なく降りることができた。♪

心配しただけ損した感じの一日だった。

ちなみに、キャプテンは明日も仙台は霧に覆われているのではないか?
と心配しながらホテルにチェックインしたようだった。

このへんが、無責任なコーパイと責任感のあるキャプテンとの違いだろうか?



2003.05.07

仙台から広島へ向かう途中、カンパニー無線を聞いていると、大分の天気が悪いようだった。
朝は霧で、昼ごろは大雨で視程が悪く、滑走路が見えないために着陸できないのだ。
宮崎か福岡へダイバートするように地上から要請があった。

広島へ到着する前に聞いていたカンパニーによると、1機が宮崎へダイバートしているのが分かった。
私達が広島に着陸してから、35分のインターバルを開けて再び仙台へ向けて離陸し、
その上昇中に聞こえたカンパニーによると、また1機、大分に降りれずに福岡へダイバートしているようだった。
一体、何機がダイバートしたのだろう?

私達じゃなくて良かったね♪」(キャプテン)
「ほんとうですね♪」

仙台に到着後、大分の天気をチェックしてみた。
あちゃぁ〜、まだ視程300mかぁ。
こりゃ、降りれんわな。

大分に行かされたみなさん、お疲れ様でした。
大分に降りれなかったお客さんのみなさん、大変ご迷惑をおかけしました!



2003.05.11

昨晩は 20:10 にホテルにチェックインし、今朝は 7:35 のチェックアウト。
泊まりの時間が短いパターンは、夜に出歩くことができない、と乗員の間では評判が良くない。
今朝もキャプテンと会ったときの最初の会話はそのことだった。

私は昨晩、見る予定のなかったテレビ番組を見てしまったために消灯は 23:00 だった。
キャプテンは昨日は一日中、激しくせきをしていたので、早く寝たものと思っていたが、
いつもどおり 24:00 にベッドに入ったようだった。

昨日さぁ、寝る前にせき止めの薬を飲んだら、ベッドに入ってから30分ぐらいして
 全身ジンマシンできちゃって。 大変だったよ。
」(キャプテン)
「全身ですか? 大変でしたね。 でも、治まったんですか?」
うん、30分もしたらジンマシンは消えたんだけど、また、いつジンマシンが復活するかと思って、
 気になって、結局、昨日はあまり寝れなかったよ。
」(キャプテン)
「それは大変でしたね。 ところで、キャプテンって、そんなにデリケートでしたっけ♪」

キャプテンも私と同じ花粉症をわずらっているのだが、
彼の場合、毎年、花粉症のシーズンにせきが止まらなくなり、それが3か月も続くのだそうだ。
なんと、まぁ、可哀想に・・・・・・・・。

仙台 → 広島 の初便は私の担当だった。
客室乗務員(CA)にブリーフィングをするのも私の仕事だった。

「えーっと、最初は私が操縦を担当しますので、私からブリーフィングします。
 皆さん、健康状態はどうですか? 良好? そうですか。
 キャプテンは昨晩、薬を飲んだら全身ジンマシンになってしまいまして、
 かゆがるものですから、体をかいてあげるためにキャプテンの部屋まで行ったんですよ♪」
何、余計なこと言ってんだァ? オマエは?」(キャプテン)

CAさん達にはウケていたようだった。

仙台 − 広島 を往復し、仙台のスタンバイルームにいると、場内アナウンスが聞こえてきた。
広島空港は霧のため・・・。

えっ? また霧なの? (前回、同じパターンのときは仙台が霧だった)
すぐにコンピューターで広島の天気をチェック。
まだまだ着陸には問題なさそうだったが、ひょっとするとこれからさらに悪化する可能性もある。
午後から行く人達、可哀想になぁ〜。
頑張ってください! (人ごと・・・・・・。)



2003.05.15

5月になって、ようやく花粉症の症状が出なくなり、喜んでいたのもつかの間、
今度は梅雨前線らしき前線が太平洋岸に張り付いていた。
九州南部から四国の上と四国沖、さらに紀伊半島から静岡、伊豆にかけて雲に覆われていた。
そして、今日の勤務は、伊丹 → 宮崎 → 名古屋 → 宮崎 → 名古屋
バッチリ前線にそって、前線の中を飛ぶパターンだった。
どの高度も必ずどこかが揺れていた。
ベルトサインを消すと揺れだし、つけると揺れがおさまる。
まぁ、大抵そんなもんだ。

そして、明日は、名古屋 → 福岡 → 那覇 → 新潟 → 伊丹
考えただけでもブルーになるほど、長時間のフライト。

少しでも揺れない所を探しながら、神経を使って一日中飛ばし続け、
仕事を終えて疲れてホテルにチェックインし、明日のスケジュールを思って、さらに疲れ、
止めればいいのに買い物に出かけた。
歩いて30分ほどの所に東急ハンズがあると聞き、雨の中、行って見ると定休日。
ヌワァニィ〜〜〜ッ!!??
また、やってもうた・・・・・・。
そういえば、別の所にもハンズあるはず。
通行人に聞いてみると、やっぱりあった。
高島屋の中にあるらしい。

歩いて何分ぐらいですか?
20〜30分?

テクテク歩いて名古屋駅に到着。
松坂屋はあるけど、高島屋はどこだろう?
しばらく歩き回って探したが、どこにもなーいっ!
JRの駅前の大きなT字路を、例のジャージ姿でウロウロするから人目につくのだろう。
視線を感じる。
そういえば、きれいなOLさんやサラリーマン、若者が多い。
って、オレ、メッチャ、場違いじゃん??

また、通行人に聞いた。

そこですよ。
えっ? どこですか?
ほら、そこ。

ぎょえ゛〜〜〜〜?
高島屋はJRの駅とくっついており、T字路の突き当たり、私の目の前にあったのだった。
全然、視野に入らなかった。 近すぎて。

東急ハンズで目的のものをゲットできたのは良かったが、ハンズが高島屋の中にあるのには参った。
穴の開いたTシャツと汚れたジャージは、ひんしゅくだったに違いない。
久しぶりに、恥ずかしいなぁ〜、と感じてしまった。

そして、ホテルまでテクテク歩いて帰った。
3時にホテルを出て戻ったのは6時前。
すっごい疲れたぞぉ〜〜。



2003.05.16

名古屋 → 福岡 → 那覇 → 新潟 → 伊丹
昨日、このパターンを飛んだ乗員は、1時間遅れだった、との情報をディスパッチで得た。
遅れる可能性があるのは、
1.名古屋での出発
2.福岡でILS16からのサークリング34を実施(着陸、離陸に時間がかかる)
3.那覇が到着機で混雑している
4.那覇の出発時、自衛隊機で混んでいる

名古屋の出発はほとんど待たされることなく、まずまずの出だしだった。

福岡空港は、ILS16が行われていたが、私達の到着前にビジュアル34になった。
幸い、ビジュアル34はそれほど待たされない。
那覇へ向けて福岡を定刻に出発することができた。

那覇空港へのアプローチ時、民間の到着機がウヨウヨいたが、
前回、このパターンを飛んだときよりはましで、定刻5分遅れで着陸することができた。

あとは那覇の離陸だけが問題だった。

私達が那覇にアプローチしたとき、飛んでいる自衛隊機はほとんどなかったようだったが、
Push Backを開始する頃には、何機か飛んでいた。
ヤバイ・・・・。

滑走路36へ向けて地上滑走を開始すると、
滑走路末端にはB767が2機と自衛隊機が1機、離陸を待っているのが見えた。
さらに、数機のファイター(戦闘機)が離陸前の準備をしている。
戦闘機の訓練機が1機、タッチ・アンド・ゴーの訓練をしている。
民間の到着機もつながっていた。
出発準備中のファイターの横を通過し、心の中で 「勝った」 とつぶやく私。
さらにB767が1機、離陸した。
これで、私達の前にいるのはB767と自衛隊機が1機ずつ。

結局、Push Backを開始してから離陸まで20分弱だったので、なかり良い成績だった。
30分〜1時間も待たされることがある、と聞いているからだ。

こうした幸運が重なった結果、新潟には定刻で到着し、最終目的地の伊丹にも、ほぼ到着に着陸できた。

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この2泊3日でキャプテン(N氏)と色々な話をした。

彼は過去に2度もスクーターを盗まれたことがあると言う。
一度は駅前に駐輪していた。 これは仕方ないようにも思える。
しかし、もう一度は自宅の駐輪所から盗まれたのだ。
ずいぶん度胸のあるどろぼうだ。

そういえば、札幌にいたキャプテンで、250ccのバイクを盗まれた人もいたっけ。
私はマンションの駐輪所に置き忘れたヘルメットが、ほんの2、3分の間に盗まれたことがある。
N氏はヘルメットのベルトの部分を切られて、持って行かれたこともあるらしい。

スクーター2台にヘルメット1つ、盗まれただけでも可哀想だが、
さらに、N氏は自宅の駐車場から車(MR2)を盗まれたこともあるのだ!
もう、なんて不運な人なんだろう?!
自宅の駐車場からって、一体、どういう人が盗むのだろうか?
転勤したとき、フェリーで福岡に車を運んでもらったが、そのときに合鍵を作られたのかもしれない。
彼はそう言う。
あわてて110番すると、警察へ行ってくれ、と言われ、
警察では職業を聞かれ、パイロット、と言うと、
ヘェ〜、年収はくらですか?」 と聞かれた。
盗難車の届け出と、どういう関係があるのか怒った彼を、シレッと無視し、謝りもしなかったとか。
挙句の果てに、ガソリンを使い切ったらどこかに乗り捨てるかもしれませんよ、と同情もなく、
盗難車はよくある当たり前のことです、みたいな応対だったらしい。
随分、失礼な警官だ。

コンビニに駐車していた車(ベンツ)を盗まれたキャプテンもいたっけか。
保険金がおりた後、どこかの外国で見つかったらしい。
札幌では、同期が車の鍵穴を壊されたり金属でガリガリされたり、と被害にあってたっけ。

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最近、生命保険の利率を下げることに関する記事を新聞でみかける。

N氏は、以前、年率5%の生命保険に入っていた。
あるとき 「もっといい保険ができました」 と営業マンに言われ、加入し直した保険の利率は2.5%。
それ以外にも、別の保険で30万円の損をしたとか。
そこへ、今回の保険料率の引き下げ案。
生命保険なんて入る必要ない。 もし入るなら、損しても良いように掛け捨てにするべきだ。
それが彼の主張だった。

そういえば、別のキャプテンが言っていた。
保険の営業マンは、しきりに新しい保険を勧めるが、
必ず利率が下がって損をするようにできているから、どんなにしつこくても変更してはいけない、と。

学生時代に受講した保険学の授業で教授が言っていた。
「保険」 というものは、人が病気になったとき、死んだとき、火事で家が焼けたときなど、
人が最も傷ついているときに関係するものだが、
そのとき、なんっだかんだ言って保険会社は保険金の支払いを少しでも減らそうとする。
気持ち良く全額払ってくれれば良いのに、決してそうはしてくれない。
だから、可能な限り、保険にかかわってはいけない。

そうはいっても何らかの形で保険とは関わらざるを得ない。
信頼できる保険の営業マンって、どうやって見極めれば良いのだろう?



2003.05.18    ゆりかご

5月15日に名古屋の東急ハンズで買ったのは、ギヤ・ボックスだ。(1000円)



これを使って、赤ちゃんのゆりかごを自動で動かす器械を作る。

ゆりかごを手でゆすり、時計を見ながら揺れのタイミングを計る。
大体1分間に60回のペースで揺れているようだった。

写真のギヤ・ボックスは減速率が6段階に設定することができるすぐれもの。
箱には、ギヤ比が196.7:1の時、回転数が約 51.3 RPMと書いてある。
(51.3 RPM = 1分間に 51.3 回転)
そのときのトルクが 2400 g・cm。
トルクについてはよく分からなかったので、ハンズの店員さんに聞いたところ
大人が軸を指で強くつまむことで、回転が止められる程度、とのことだった。
この速度とパワーで、ほど OK のはず。



組み立て終わったら、これをどう取り付けるか考える。
100円ショップで購入したプラスチック製の軽量スプーンの柄を切り取り、アームとした。



モーターは、普通のラジコン・カーに使用されるような、極めてきゃしゃなもの。
アームをそのままゆりかごにセットすると、回転し始めようとしたときに、
重すぎて回らないかもしれない。
ギヤ・ボックスは外の枠、歯車、全てプラスチック製で、
突然強い荷重がかかると壊れる可能性がある。
このため、アームをゆりかごに直結させない方法を考えた。
身近なもので、単価が安いもの、ということで、輪ゴムを2つ使った。





モーターは電池2つを直列につなぎ3ボルトで使用するものだったので、
家に余っていた市販の3Vのアダプターを使った。


完成♪

動画(680KB)はこちらをクリックしてください

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2003.05.20

間もなくホテルをチェックアウトする時間だった。

今ごろシンちゃんは何をしてるかなぁ〜。
最近の傾向として、日中は寝ることを止めたようだ。
きっと泣きまくって妻を困らせているに違いない。
その光景を思い浮かべると、自然と笑いがこみあげてくる。

そんなことを考えていた丁度その時、ホテルの電話が鳴った。
あっ! 妻から電話だ♪

すぐに受話器を取り上げた。
「もしもしぃ〜♪」
お目覚めの時間です。
それは私がチェックアウトの15分前にセットしたモーニングコールだった。

なんだよ・・・・・。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

伊丹に到着し、少しだけ中空きのあるパターンだった。
携帯を持たない私にとって、一番安い通話料金で公衆電話からかけられるのは、このときしかない。

飛行機を降りて、ターミナルへ出た。
喫煙所の隣に公衆電話を発見。
そこにはタバコを吸っているキャプテンがいた。

私は家に電話をした。
しかし、誰も出ない。
授乳中かなぁ?
それともお風呂に入ってるのかなぁ?
まっ、いっか。
飛行機に戻るため、お客さんが通る搭乗ゲートを通り、飛行機へと続くドアを開けようとした。
すると・・・・、あれっ? 開かない。

ガチャ、ガチャ、ガチャ。

んっ?
ドアの横にはテンキーがあるではないか!?
これって、そうか、暗証番号がいるんだ。
次の便は満席のため、辺りはお客さんでごった返していた。
げっ! みんなに見られてる。
これでは私はかなりの不審者だ。
回りにはGHさん(地上係員)もいない。
搭乗ゲートを再び出て、喫煙所に戻った。

キャプテン、暗証番号知ってます?

暗証番号を教えてもらい、再び搭乗ゲートへ戻った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
開いた♪

5分ほど待って、もう一度飛行機を出て、搭乗ゲートを通過し、公衆電話へ向かった。
あれぇ〜、出ないなぁ。
近くのベンチに座り、待つこと5分。
もう一度電話すると・・・、出た。
もしもし。」(妻)
「今、何してたの?」
友達の所へ行ってて、今、帰ってきたとこ。」(妻)
そうだった、そうだった。 そういえば遊びに行くって言ってたな。

ふと、ターミナルにかかっている時計を見ると、間もなく出発時刻だ!
へっ、なんで?
まだ、全然しゃべってないのに。

「ヤバイ、もう行かなきゃ。 出発時刻だわ。 っじゃ。」

搭乗ゲートを通り、飛行機に戻ってから腕時計を見ると、
あれぇ〜、まだ5分は大丈夫じゃん。

「キャプテン、今、何時ですか?」

ターミナルの時計が5分進んでいたのだった。



2003.05.30

20日と同じパターン。

高知のホテルで勉強?していると、電話が鳴った。
今日は目覚ましかけてないよな。
妻からかなぁ?
電話を取ると・・・・・、なんだ、会社からか。
何だろう? 台風関連でスケチェンかなぁ?

それは、あるキャプテンからの電話だった。
どうして私にF氏から電話がかかってくるのだろう?

私自身、忘れてしまっていたが、ずーっと前にF氏に飛行機関連のある質問した。
その内容をシミュレーターで検証する機会があり、
私の質問が何だったかをわざわざ電話で確認してくれたのだった。
覚えていてくれただけでも嬉しいが、わざわざ私の勤務を調べて、
ホテルにまで電話してくれたなんて、とってもとっても感激だ。

そんな律儀なキャプテン、うちの会社には多い。


この時期には珍しく、台風が接近していた。
ニュースによると、観測史上、三番目に早い台風の到来で、38年ぶりだそうだ。
これも異常気象のせいだろうか?
日本のどこかの海岸で、タズマニアから飛んできた渡り鳥が2000羽ほど死骸で発見された、とか。
これはオーストラリアの異常気象でエサが足りなかったせいではないか?との見解だった。
恐ろしいことだ。

台風の接近にともなって、高知空港は天候が悪化していたが、
私の勤務は、高知 → 新潟 → 名古屋 と、台風から遠ざかるパターンだったので、
私達が使う飛行機が、高知に着陸さえしてくれれば問題ない。
もちろん飛行機は着陸した。

整備さんによれば、どうやら飛行機をエバック(EVAC = Evacuation)するらしい。
高知空港の天気予報では、風が50kt(時速80km)吹く可能性があるらしく、
飛行機を駐機させておけないので、台風の影響のない飛行場へ移動させるのだ。
今晩、高知空港に留まる飛行機がいなくなることになる。
これは、明日の朝一の高知発伊丹行き(402便)が就航しない、もしくは遅れることを意味する。

高知まで飛行機を持ってきてくれたクルー(乗員とCA)は、私達の飛行機に乗って伊丹空港へ戻った。
彼らは通常なら明日の402便に乗務するクルーだ。
きっと明日は沢山のスケチェンが発生することだろう。

私は無事、今日の勤務を終え、ホテルにチェックインし、
テレビで上映していた「トゥルー・クライム」を見た。
映画が終わってもホテルの電話は鳴らなかった。
きっと、私は明日、スケチェンがないのだろう。
もしあるとすれば、今晩、鳴っていたはずだ。

明日は 名古屋 − 宮崎。
きっと、台風の何らかの影響があるだろう。



2003.05.31

朝、テレビのニュースで、伊丹−高知 401、402、404便が欠航したことを報じていた。
やはりそうか。
きっと、沢山のお客さんに迷惑をかけてしまったのだろう・・・・・。

名古屋空港のスタンバイ・ルームへ行くと、いつもは沢山いるはずの乗員がいなかった。
ディスパッチへ行き、運航状況を聞くと、かなり欠航しているようだった。
再びスタンバイ・ルームへ戻ると、客室乗務員(CA)が騒いでいた。
便乗で乗るはずの福岡行きが欠航になってしまったのだ。
同じ福岡行きに便乗で乗るはずだった乗員も戻ってきた。
どうやって福岡まで帰るか、新幹線になるのか?など、心配そうに話をしていた。

福岡はサークリングの風だったが、シーリングが低すぎて回れず、着陸できない状況だった。

福岡まで便乗クルーとお客さんを乗せて飛行機を飛ばすはずだった乗員も戻ってきた。

別のCA達がスタンバイ・ルームに入ってきて、一緒に乗務するはずのキャプテンを探していた。
でも、いないのだ。
何度もCA達はやってきたが、キャプテンはどこにもいない。
CA達が諦めて、どこかへいなくなり、
かなりしばらくしてそのキャプテンとコーパイが息を切らせて入ってきた。
福岡から便乗で名古屋に入るはずだったが、乗るはずだった飛行機が出発時刻直前で欠航になり、
別の会社の名古屋行きに飛び乗ってきたのだ。
もう14:00を過ぎていたが、彼らはお昼ご飯もまだだった。
そのまま食べずに乗務便へ向かった。
きっと、彼らは夜までメシ抜きだ。

私達は、というと、通常なら新潟から入ってくる飛行機を使って宮崎へ行くのだが、
その飛行機がなかったようで、関空からフェリー(空で空輸)で運ばれてくる飛行機待ち。
私達がディスパッチへ出頭したとき、まだ関空を離陸していない状況で、
いつ名古屋に到着するか分からなかった。
再びスタンバイ・ルームへ戻った。
しばらくしてキャプテンが気がついた。
私達と一緒に乗るCAさん達って、どこにいるんだろう?」(キャプテン)

キャプテンは伊丹の事務所に電話をしたが、分からずじまい。
きっと、3階のCAさん達の部屋にいるに違いない。
「僕、見に行ってきましょうか?」
あっ、いいよ。 きっと、時間になったら降りてくるでしょう。」(キャプテン)

その予想通り、関空からのフェリーが間もなく到着する頃になると、
CAさん達がスタンバイ・ルームにやってきた。
よろしくお願いします〜す♪」(CA)

結局、名古屋を定刻より15分遅れて出発し、宮崎にも15分遅れで到着した。

宮崎では3時間のインターバルがあった。
到着したときは空港は雲に覆われていたが、
次に飛行機に乗りこんだときは、すでに台風の雲は遠ざかりつつあった。
滑走路へ向かって地上滑走をする頃までには、上空の雲はほとんど消えていた。

名古屋へのアプローチは、再び台風の雲に紀伊半島上空で突っ込まざるを得ず、
かなり揺れたが着陸には全く問題なかった。

結局、私達はスケチェンになることもなく、
2泊3日をオリジナルのパターンどおりに飛ぶことができたのは幸いだった。