2007.04.02

朝起きて窓の外を見たら、空気が黄色かった。
空港毎の天気をチェックすると、「Yellow Sand」 と注意書きがあった。
そっか、黄砂か。
それにしてもひどい。
中部、伊丹空港の予報によると、黄砂で視程が4kmになるらしい。
今日は Visual Approach は無理っぽい。

伊丹 → 鹿児島 を飛び、再び伊丹へ戻ってきた。
小型ジェット機は、可能な限り32Rに着陸することになっているが、
視程が悪すぎたので ILS 32L straight in を行った。

時刻は17:35頃。
何気なく西の空を見ると、太陽が白く、きれいに見えた。
うわぁ〜、きれぃだなぁ〜〜・・・・・。
ん?
夕日じゃないぞ。
まだ日が沈む直前でもないのに、なんで太陽を肉眼で見れるんだ?
雲はなく快晴。
太陽の光って強烈で、黒いフィルムを通して見ないと、目がやられてしまう。
それが普通に目視できるほど、空気に砂が混じってるんだ!

中国、大丈夫かぁ〜〜?



2007.04.03

久しぶりに函館に行った。
本当に、ひっさしぶり。
今日は函館で晩飯の弁当がつく。
だから、すんごい嬉すぃ〜のだ。

いつもどおり、青森のだいぶ手前から高度を下げ始めた。
そうそう、過去に何度か函館へ南からアプローチしたけど、毎回、気になる町?村?がある。
絶壁に囲まれていて、そこへ旅行で行くとすれば、どうやって陸路でたどり着けるのか?不思議に思ったものだ。
旅行に行くなら、あんな感じの場所の民宿に泊まりたい。

今日も見えるかなぁ〜。
あ゛っ!!!
見えたっ!!
今日も、これまた、随分と Isolate されてるなぁ〜。
すぐに地点をチェック。
函館VORからラジアル192度、距離31マイルか。
いつか、地図で調べてみよう。

絶壁に囲まれていて平地がほとんどなく、畑みたいなものはなかったから、きっと農業は盛んじゃないはず。
漁村かなぁ〜?
海に少し突き出た陸地、村に対して南、もしくは南西側に、平屋っぽいの赤茶色屋根の家?倉庫?があった。
うん、あれが目印だ。
あそこに住んでる人は、どうやって村の外に出るのかな?

函館空港は到着時、雲がほとんどなかったので Visual Approach 30 で着陸した。
折り返し便で函館を離陸する頃、イヤーな感じの雲が空港近くに接近していた。



何か降ってる。
雪かな?雨かな?

滑走路30に入った。
離陸後、左旋回する。
前方と、向かって左、南側の私達が飛ぶ経路上には、怪し気な雲はなかった。

何事もなく函館を離陸し、中部へ向かった。

函館の弁当、あいかわらず、うまかったぞぉぉおおーーーっ!!!!!!



2007.04.04

夕食のときの出来事。
んっ?
あれって、新しい観葉植物じゃん?
リビングに高さ70cmほどの観葉植物が置いてあるのを発見した。
妻は植物を枯らすのが上手だ。
何度も鉢植えにチャレンジし、ほぼ全滅する。

「なぁなぁ、また枯らすために観葉植物買ったの?」
「もしかして、今、気付いたん?」(妻)
「そうだけど、なんで?」
「だって、今日って、水曜やろ? あれ土曜からあそこに置いてあるで。」(妻)
うっそだぁ〜〜。
って・・・・・・、ほんと?

リビングのコーナーに置いてある観葉植物は、ご飯を食べるときの私の席のほぼ真正面になる。
その観葉植物の前、1mぐらいのところにウッド・トレイン・セットを敷いて、息子と遊んでいる。

うわぁ〜〜〜、ショーーーーックッ!!!



2007.04.13

飛行機を降りると、ほとんどのお客さんは携帯電話の電源をすぐ入れる。
私は、携帯の電源をいれないときが多い。
むしろ、そのまま入れ忘れっぱなしのことが多い。
携帯の電源を入れたところで、向こうからかかってくるのは、妻か同僚のKから、だけ。
私からかける相手は、会社関連以外では、やはり妻かK。
つい、先日、Kとは自宅の固定電話で長電話したばかり。(ADSLは安い!!)
妻に用事がなければ携帯の電源を入れる必要がないのだ。

伊丹−熊本 を一往復し、中空きがあり、かつ、シップ・チェンジ(飛行機乗り換え)のパターン。
荷物を片付け、コックピットを出て、PBBへ。
そうだ。
妻に電話しよう。
新学期が始まり、年中さんになった息子、初日は号泣、二日目も、三日目も泣き、
そして今日が四日目。
泣いたか、泣かなかったか、とっても知りたかった。
胸のポケットに手をやった。

あれっ?
携帯がない?!
え゛っ!?!?
なんで、ないんだ?

伊丹空港で飛行機に乗る前、電源をOFFにして胸ポケットにしまったのは覚えてる。
その後、ズボンのポケットには入れてないし・・・・、上着のポケットにも入れてない・・・・。
体中のポケットを全てチェック。
ない!
ない、ない、ないないっ、ないぃぃぃいいいーーーーっ!!!!!!
どーーーしよーーーーーーっ!!!!

「どうしたんですか?」(コパイ)
「携帯がないのさ。」

熊本では一度もポケットから出してないから・・・・・・。
落としたとしたら、どこ?
いや、出さないんだから落とさないだろ?
胸ポケットの底に穴が開いたか・・・・、イヤ、開いてない。
熊本のディスパッチで落としたかな?
いや、いや、それはありえない。
熊本 → 伊丹 の操縦はコパイにしてもらったから、外部点検はコパイがした。
私はディスパッチから、まっすぐ飛行機に戻った。
距離、20mぐらいか。
階段を上って・・・・、落とさないよな・・・・・。

じゃあ、どこ?
一番可能性が高いのは、コックピットの床か?

フライトバッグから懐中電灯を取り出し、ラダーペダルの奥を照らした。
やはりない。
うげぇぇぇえええーーーーっ!!!!
あれって、買い直したら、スンゲェー、高くつくよなぁ〜。
困ったなぁ。

オロオロオロオロオロオロオロオロオロオロオロ、していた、そのとき。

「ありましたよっ!」(コパイ)
「え゛っ?!」
「携帯、って、これですよね?」(コパイ)
「そうそう、それ。 ありがとぉぉーーー。 良かったぁ。 どこにあったの?」
「ゴミ箱の中です。」(コパイ)
「え゛え゛ーーーっ! なんで、ゴミ箱に入ってたかなぁ。 でも、よくゴミ箱に気がついてくれたね。」
「いや、なんとなく。」(コパイ)
「ほんと、助かったわ。 サンキュ〜。」

どーして、ゴミ箱に落としたかなぁ?
Yシャツの胸ポケットから何かを取り出してゴミ箱に捨てようとして、
一緒に携帯をつかんだら、普通、気がつくよな?
おっかしいなぁ。
ま、いっか。
見つかったんだし。

すっかり、妻に電話するのを忘れてしまった。

そのままターミナル内を歩いて事務所へ向かった。
途中、杖をついたおばあちゃんに声をかけられた。

「8番スポットはどこですか?」(おばあちゃん。)
「あっちですよ。」(コパイ)
すかさず、気の利くコパイは8番スポットの方角を指差した。
「ありがとう。」(おばあちゃん)

すれ違い、歩き去ろうとしたおばあちゃんを振り返って見ると、
んっ?
随分、荷物を持ってるなぁ。
左の肩に大きなショルダーバッグをかけ、さらに左手に大きなビニール袋を持っていた。
右手に杖。
歩きにくそうだ。

「悪い。 先に事務所、戻っててくれる?」

私はキャスター付のフライトバッグを転がしていただけ。
小走りでおばあちゃんに追いついた。

「荷物、お持ちします。」

遠慮されてタイミングを逸するかもしれないので、有無を言わさず、
おばあちゃんの手からビニール袋をひったくり?(意外と重いじゃん?)
さらに肩から黒い大きなショルダーバッグを下ろしてあげた。
げっ! おもっ!
ショルダーバッグはフライトバッグの上にのっけて運んであげた。

「足が不自由でね。 助かるよ。 ありがとう。」(おばあちゃん)

X線検査場から8番スポットまでは、けっこう距離がある。
検査場からおばあちゃんに声をかけられた場所までの距離と、
荷物を運んであげた距離とを比べれば、お手伝いできたのはほんのちょっとの距離だった。
でも、I'm at your service. という気持ちだけでも伝わったのなら、
差し出がましかったけどお手伝いできて良かった。

「いってらっしゃい。」

おばあちゃんが、ニコーーッ、と笑った。

約1時間ほどの中空きタイムがあって、再び飛行機に向かった。
コックピットに入る前。
あっ!
そうそう。
アレルシャット、鼻の中に塗ってないじゃん。



今朝、塗ったのって、06:00。
もう、有効期限の5時間、とっくに過ぎてる。
危ない、危ない。
危うく、花粉にやられるところだった。

機内のトイレに入り、胸ポケットに手を入れた。
あれっ!?
ないっ!!!
??????????
ゲェェェエエエエーーーーーッ?!?!?!
携帯電話と一緒に、ゴミ箱に捨てちまったのかぁ〜?
携帯とアレルシャット、同じポケットにしまってるのだ。
クッソーーーッ!!!
あれ、1380円もしたんだぞっ!
まだ、結構、残ってたのにぃーー。
あぁーー、もったいないことした。

まぁ、いい。
あれを初めて買ったときは、効果があるのか、ないのか、分からずに、
どこの馬の骨ともわからない得体の知れないモノに大金を払うことに恐怖を覚えたけど、
効果がある、と分かれば、1380円ぐらい、おしくないかっ!!
(かなり、前向きに自分を説得している。 でないと、後悔の嵐、ゴーゴーさぁ〜。)

ホテルにチェックインして、すぐに妻に電話した。
「ねぇーーー、聞いて、聞いて。」
「なによ。」(妻)(とてもウザそうに)
「アレルシャットをお落としちゃったみたいでさぁー。
 ■▽×Σ△◆$γ#★☆◎凵」◇α▼○■▽×Σ△◆$γ#★☆◎凵」◇α▼○・・・・・・」
かなり一方的に機関銃のようにしゃべりまくり、
(それを予期して妻がウザそうにしていた)
(Softbankの家族定額に感謝、感謝)
気分がスッキリし、ようやく思い出した大事な要件。

「そうそう、あいつ、今日、幼稚園行く前、泣いた?」
「うん、泣いてたよ。 でも、今日はちょっとだけ。」(妻)

そっか、あと少しで泣かなくなるかな。

(5日目以降、泣かなかった)



2007.04.17

最近、私が思うことを、とても端的に書いてある記事を見つけたので、紹介させていただきます。


 節操なき消費行動を改め「足るを知る」精神を持て
 山田日登志(PEC産業教育センター所長)
 WEDGE 4月号 (April 2007 Vol.19 No.4)101頁


 産業社会を作ったのは、まぎれもなくあのヘンリー・フォード一世であると思う。
 人間が自由に好きなところへ行けるために、安価なT型フォードを開発し、
 世の人々に大量生産・大量販売すると共に、働く人を幸せにすべく賃金を上げ、病院までも作った男である。
 彼は自著で以下のように語っていたといわれる。

 産業の終着点とは、決して標準化され、自動化された世界ではない。
 人の手足となって働く機械が豊富に存在する世界である。
 なぜならそこでは、人間は、もはや朝早くから夜遅くまで、
 生計を得るための仕事にかかりきりになるということはなくなるからである。
 産業の真の目的は、一つの型に人間をはめこむことではない。
 また働く人々を見かけ上の最高の地位にまで昇進させることでもない。
 産業は、働く人々をも含めて公衆にサービスを行うために存在する。
 そのために、この世の中をよくできた、しかも安価な生産物で満たし、
 人間の精神と肉体を、苦役から解放するためにある(「トヨタ生産方式<大野耐一著>」より)。

 しかしながら、彼の目的としたユートピアは、100年を経た今日でも実現せず、
 むしろますます低賃金で過酪な労働を世界の人々に強いるようになってきた。
 人間の心を豊かにするはずであった、よくできて安価な生産物は、決して人々を満足させるものではなく、
 次々に欲望を興す手段になってしまった。
 この人間の欲望を満たすためといって、産業界は、今こぞって新製品開発に明け暮れ、
 一つでも多く売り上げ、同業者を駆遂し、世界一のシェアを獲得しようと、
 あらゆる情報活動をはじめ、あの手、この手の方策をくりひろげている。
 一方、買う立場である主権者の主婦は、あのインドネシア元大統領夫人のように、
 ファッションの最先端を走ることに夢うつつで、欲望の虜になって、
 身の丈を忘れて消費者金融に駆け込んだり、
 便利だからとお金以上のカードを持ち歩く世の中を作ってしまった。

 歪んだ教育が欲望を暴走させる
 欲望の行きつく先は、今日さえよければ、自分さえよければという刹那主義的生き方の萬延である。
 生き方をなくした消費者に、あの吉永小百合さんがニッコリ微笑むと、
 ブラウン管テレビからフラットテレビに買い換える人が急増する。
 ちょっとテレビ局が騙して、体がスリムになりますよと放送すると、たちまち街中から納豆が消える…。
 自分の価値観を持てない人々で、わが日本はあふれかえるようになってしまった。
 近くの大型ショッピングセンター(SC)ばかりが賑わい、
 その結果昨日までお世話になった八百屋さんやおもちゃ屋さんが失業する。
 そして、地域の雇用がSCのパートタイマーだらけになってしまうのは、
 消費者のかしこい(?)購買行動の結果である。
 あのフォードが考えた「良いものを安く世界の人々に提供すること」こそ、産業界の使命だとの思想は、
 安物買いのゼニ失いとの諺のようにモノの価値観をわかろうとしない人を多くしてしまった。
 ゴミの多さは文化のバロメーターと言われたり、
 買い換え需要をいかに早くさせるかに新製品開発競争がくりひろげられたり、
 極北の民族にむぎわら帽子を売ることが最高のセールスマンと言われたりと、
 働くことがいかに世の人々にムダを強いるかと思えるほどに歪んだ産業教育が、
 生きがいにつながらない労働観を生んでしまった。
 あのノーベル平和賞に輝いたマザー・テレサさんや
 「もったいない」を世界語にたかめたワンガリー・マータイさんの生き方を学ぶことなくして、
 心豊かな人生はあり得ないように思える。
 ムダを知り、足るを知り、一隅を照らす事に
 働く意義と生きる喜びを見出す人を一人でも多くしたいと思っている。




2007.04.20

き゛た゛ぁあぁあぁぁあーーーーっ!!!

かなり、きっついパターン。

伊丹 → 宮崎 → 那覇 → 新潟 → 千歳  飛行時間、6時間10分!

明日は、逆パターン。
千歳 → 新潟 → 那覇 → 宮崎 → 伊丹  飛行時間、6時間25分!

勤務表を見ただけでウンザリしてしまう、一泊二日のパターン。
しかも、休みを挟んで、もう一回、同じ勤務だ。

こ、、、、、、これを乗り切れば、4月を生き延びれる・・・・・・・。
がんばるゼイ!!
フゥ〜〜〜・・・・・・・。

那覇 → 新潟、466便は、満席だった。
那覇のディスパッチでお客さんの情報をゲット。
修学旅行の団体が二組か、、、、、二組?
プラス、一般旅客、3名?
エアバス320は満席で166人乗りだから、修学旅行の2団体で163名。
先生を除くと、一学年が80名以下の学校が2つ、ってこと?
一クラスって、普通、30〜40名ぐらいだろうから、一学年2、3組か。
随分、小さな学校だ。
えっ?
一般旅客3名のうち、一人は衆議院議員でVIP?
ってことは、恐らく残りの2名は付き人?

ものすごーく妙チクリンな組み合わせだ。

新潟に到着後、客室乗務員(CA)さんが言っていた。
「もう、喫茶店みたいでした。
 『ご注文を伺います♪』
 『わたし、リンゴジュース。 じゃあ、わたし、お茶。 じゃあ、わたしはコーヒー。』
 みたいな勢いで、大変でしたぁ〜。」(CA)

そっか、そっか。
ご苦労様でした。
修学旅行生はお弁当を持ち込んでたし、きっと、客室はすごいことになってたのでしょうね♪

VIPのひと、くつろげたかなぁ〜?
無理だったろうなぁ〜。



2007.04.21

新潟 → 那覇 は、タイムテーブルの時間が、計算上のフライトタイムより7分多かった。
(ちなみに、昨日の 那覇 → 新潟 では、タイテーブルの時間が、計算上のフライトタイムより、5分少なかった。
 でも、管制官に要求してショートカットしまくり、なんとか定刻に到着した。)
つまり、Door Close してから、エンジンをかけ終え、地上走行して離陸滑走路まで行く時間と、
着陸後、地上走行して駐機所に入るまでの時間、途中、地上で順番待ちなどで待たされる時間、
全ての合計が7分以下でなければ、定刻には到着できない、という状況だった。
そこで、風の状況を考慮し、地面に対する速度が一番出て、かつ、揺れない高度を選択。
今日の場合、これが 30,000feet だった。
計画では、前線に伴う雲の影響で新潟離陸後、小松まで FL300 は揺れ、その後、那覇まで気流良好のはずだった。

新潟を離陸。
機上のコンピューターが計算する那覇着陸時刻が、タイムテーブル上のスポットイン時刻と同じだった。
ということは、地上走行や、アプローチの順番待ちで減速させられることを考慮に入れると、
間違いなく遅れる。

小松までは雲の中でコトコト程度揺れた。
予定通りだ。
小松を過ぎて雲がとれ、揺れがピタッと止まるはずだったのに、どこまで行っても雲の中、
かつ、揺れが少しずつ強まった。
前線に伴う雲が予想に反して発達し、小松より南西にまで広がってしまったのか?

さらに南西に進み、鳥取のあたりまでくると、わずかに雲が薄くなった。
おっ!
32,000feet に上がれば、雲の上に出れるかもよ。
でもなぁ、確か、FL320 は FL300 より向かい風が強いはずだ。

管制官に FL320 をリクエストすると・・・・、くれたっ!
上昇していくと、FL300 では向かい風75kt程度だったのに、FL305 ぐらいから風が強まり、
FL320 では95kt程度まで増速してしまった。
雲の上に出て、ようやく気流は安定したが、地面に対する速度が減ってしまった。
トホホ・・・・・。

さらに南西に進み広島近辺までくると、前方の雲の頂上が低くなっていた。
そこで、再び FL300 に降下してみた。
すると、10kt程度風が弱まり、空気密度の関係で、FL300 の地面に対する速度は FL320 より15kt増えた!
それだけで機上のコンピューターが計算する那覇到着時刻が3分縮まった。

さらに南へ行くと、向かい風が減り、コンピューターが計算する到着予定所刻がどんどん早まり、
那覇空港へ向けて降下を開始するころには、定刻より10分早くスポットインすることが確実だった。

この便は満席なので、清掃に時間がかかる。
那覇での滞在時間が長ければ長いほど、次便は確実に定刻に出発できる。
タイムテーブル上の中空きは35分。
35分だと、きっとギリギリ。
10分早く着き、45分もあれば、かなり余裕だ。

那覇のアプローチは、VORTAC 18 だった。
嘉手納の米軍管制官から進入許可をもらった。
那覇タワーの管制官と交信し、高度を 1,000feet まで下げた。
滑走路が見えた。
タッチダウンまであと2、3分。
先行機が着陸滑走している。
着陸後、滑走路を出てから私達が入る予定の駐機所まで、Push Back 中の飛行機、
地上走行中の飛行機は全くいなさそうだ。
ヨッシャーーーッ!!!
定刻マイナス10分、もらったーーーーっ!!!!
Flap を2にセットした。
「ギヤ・ダウン」(タイヤを下ろす)
ゴーーーッ、というタイヤが下りる音を聞きながら、Gear Light が3つ緑に点灯するのを待った。

「All Nippon 465. Make go around due to runway check. Maintain 1000feet. Contact Okinawa Approach.」(管制官)
へっ?
今、なんつった?
コパイを顔を見合わせた。
え゛え゛え゛ーーーーーっ!?!?!?!?!
ゴーアラウンドするの?

じゃあ、Gear Up、イヤ、まだ、Gear Light 3 green になってないから、下りきってないな。
3 green になったら、ギヤ上げようか。
Maintain 1000feet って、今、1000feet で水平飛行中だから、このまま飛んでけばいいのね。
ゴーー、ゴトン、ゴトン、ゴトン。
お、3 green になったね。
じゃあ、Gear Up。
Flap 1 にして、とりあえず180ktまで加速するね。

そんなことをコパイと話しながら窓から左真下を覘くと・・・・・、滑走路の上を走ってる車を発見!
あいつが Runway Check してるんだな。
クッソーーッ!!!

米軍の管制官と交信し、2分ほどすると Runway Check が終わり、Runway Open の連絡が入った。
それまでに客室乗務員(CA)さんがアナウンスを終え、
私もアナウンスをし、必要なチェックリストも完了、すぐにアプローチできる準備が整っていた。
そこへ、コパイが間髪入れず言った。
「滑走路、見えてます。」(コパイ)
VORTAC 18 で Missed Approach した後、右旋回が続いたので、
左席に座る私より、右席に座るコパイの方が滑走路を見つけやすい。
サンキュー。
周りに飛行機いなさそうだし、Visual Approach もらってくれる。

すぐに管制官にリクエスト。
すると・・・・・・、なにぃ〜!?
VORTAC 18 approach を今、実施してる、VORTAC 18 ファイナル、滑走路から15マイルにいる飛行機が見えるか?
だとぉーーーー?!?!?!?
空港からそーーんな遠くにいる飛行機の後にうちが着陸するってかぁ?
ちょちょっと右旋回したら、その飛行機の進入の邪魔にならず、
管制間隔2分程度空けて、うちが先に着陸できるじゃんけぇーーっ!!
ふーーーざけんなよーーーっ。

機上のコンピューターが計算する着陸予定時刻をチラッと見ると・・・・、すでに定刻を過ぎていた。

仕方ない・・・・、か。

VORTAC 18 のファイナルにいる飛行機を発見。
そいつに続いて、とっとと着陸した。
フゥーーー。

滑走路から誘導路へ出ている途中、管制官に言われた。
「Hold at No.4 Stop line.」(管制官)
ターミナルを見ると・・・・、トリプルが Push Back を開始し、私達の駐機所への入り口がふさがれていた。

結局、スポットインしたのは定刻7分遅れだった。
もともと定刻より10分早くスポットインするはずだったので、17分遅れ。
腹立つわぁ〜。

管制指示によるゴーアラウンドをしたので、とりあえずディスパッチへ行き、報告。
ついでに、何が起こったのか聞いてみた。
へっ?
うち(465便)の前に着陸した○○○が、着陸時にパーツを落としたかもしれないから Runway Check を依頼したって?
結局、何も落ちてなかったんで、すぐに Runway Open になった、と。
へっ?
Runway Close の時間、たったの3分間?
ゴーアラウンドしたのって、何機いました?
うち、1機だけ??

近くにいた知り合いの先輩キャプテンが、ニマニマ笑いながら、サラッ、と言った。
「普段のおこないでしょ?」(先輩キャプテン)
すると、近くにいたディスパチャーもニータニタ笑いながら言った。
「どっちのおこないですかねぇ〜。」(ディスパッチァー)
私はコパイを見た。
コパイも私を見た。
目が合った。
コパイは何も言わない。
私がコパイだった頃、
「そりゃあ、キャプテンのおこないのせいに決まってるじゃにですかぁ〜。」と、
必ず躊躇せず言ったものだ。
でも、一般的にはこういうときって、キャプテンは、「おまえのおこないだな」って、コパイのせいにするんだよな・・・・・。
そこで私は言った。
「アッ! 僕のおこないのせいです。 スンマセンデシタッ!」

自虐ネタ、う・け・た・・・・。

その後、2便、那覇 → 宮崎 → 伊丹 とコパイに操縦してもらった。
那覇出発が少し遅れ、宮崎到着も3分遅れたが、伊丹空港到着は定刻より2分早着だった。
終わりよければ、全てよし、か。

長い一日だったぞぉぉおおーーーっ!!!
CAさん達、心なしか、ゲッソリしてたぁ〜〜〜。
休みをはさんで、またこのパターン、頑張るぞぉぉぉおおおおぉぉぉ〜〜〜〜〜・・・・・・・、ハァ〜。
あ〜〜あ。
疲れた。

そうそう、そういえば、宮崎空港には、滑走路脇に埴輪があったはずなんだけど、今日、なかったなぁ〜。
どこへ行ったかなぁ〜。
歩いて、どっか、行っちまったかなぁ〜。

そうそう、宮崎ネタがもう一つあった。
離陸時、Runway 27 に入りながら、向かって右手遠方の海岸近くに、サーファーを発見した。
風が180度方向から15kt程度吹いていたので、いい波がたっていた。
今日、一緒だったコパイは航大卒でサーファー(見た目も格好いい)。
「あそこで、サーフィンするの?」
「そうなんです。 あそこ、結構、穴場なんです。 でも、下水処理場が近くて、水が臭いんですよ。」(コパイ)



2007.04.25

少し前、聞かれたことがある。
新潟のディスパッチだったか。
「鳥って、何フィートまで飛べるんですかねぇ? 何フィートまで見たことあります?」、と。

あのときは、そんなこと考えもしなかったので、分からない、と答えた。
渡り鳥がどこまで上昇するのか想像もつかないが、
3,000m 上昇するとは考えにくい。(外気温度が低いから)
彼らがどんなに軽くても、羽で作る揚力と空気密度を考えて、
個人的には 1,000m 以上を飛ぶことなんて無理に思えた。
1,000m = 約 3,000feet
上空 3,000feet で鳥を見ることなんて、まずないだろう。

今日、伊丹空港へ進入中、通常通り SKE(しのだ)を 5,500feet で通過した。
SKEから先、3,500feet までの降下の許可を管制官にもらい、
SKEから HDG 060 へと右旋回しながら 5,500feet からさらに高度を下げた。

んっ?
なんか、今、視野に入ったぞ?

と、何気なく左手を見ると・・・・・・、
ゲェェェエエエエーーーーーーッ!?!?!?!
鳥じゃん?!?!?!
即、高度計チェック。

マッジ?!?!
4,500feet だよ!!
1,500m だ。
少し離れたところに、チラッ、と一瞬視野に入っただけだが、
首が長く、胴は太目、翼の感じからカモより大きめの白鳥?みたいな形状だった気がする。
あいつ、意外とデブだったぞ。

いやぁーー、驚いたぜ。

というわけで、新潟のみっなさーーーん!
鳥は 4,500feet で飛べるみたいでーーーす。

 早速、鳥の飛ぶ高度についてメールを何通か頂きましたので、一部を掲載させていただきます。
 ありがとうございました!
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 http://221.243.18.148/tenki/pdf/52_01/p011_023.pdf
 これは気象庁が気象レーダーの研究の中で渡り鳥のエコーの影響を調べたものですが、
 この中で、小型の鳥は通常数百mで飛ぶが、大型の鳥は通常1000m〜2000mの高度で飛び、
 レーダー観測では4000mを超える高度も観測されている、とあります。
 別の検索では、8000m級の山が連なるヒマラヤ山脈を越える渡り鳥がいるという話もみつかりました。
 もちろん、いきなり8000mまで上がれるとは思えませんので
 山の中腹で何度も休んで高度を上げていくのでしょうが、酸素不足と寒さを考えるとこれもすごい能力です。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 渡り鳥のヒマラヤ越えの話が出ていましたので、メールさせていただきました。
 上昇気流に乗って麓からヒマラヤを越えるみたいですよ。
 また、防寒対策は羽毛に、酸素不足対策はその呼吸法に秘密があるみたいですよ。
 http://www.tmig.or.jp/J_TMIG/books/rj_pdf/rj_no200.pdf
 http://www.sp.ous.ac.jp/news/Soturon04/Abstract/i01w017.pdf
 http://www1.ocn.ne.jp/~sho1948y/anehaduru.htm
 http://www.eco-stream.jp/chikyuu_himalaya.htm